奉仕と追悼のための国民の日

8年前の2001年9月11日、史上最悪の航空機による米国同時多発テロ(September 11 attacks)が発生した。11日にはニューヨーク中心部のワールドトレードセンタービル跡地(グラウンド・ゼロ)など全米で追想式典が開催された。

2001年9月11日、4機の旅客機が武装した集団によってほぼ同時にハイジャックされた。アメリカン航空11便とユナイテッド航空175便が相次いでニューヨークのワールドトレードセンター(WTC世界貿易センター)に突撃し、巨大なビルが崩壊、世界中に衝撃を与えた。またアメリカン航空77便はバージニア州アーリントンのアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突した。ユナイテッド航空93便の攻撃対象はアメリカ合衆国議会議事堂かホワイトハウスであったとされるが、乗客らの必死の反抗によりコントロールを失って、ピッツバーグ郊外シャンクスヴィルに墜落した。

ワールドトレードセンターでは2,749人が犠牲となった。しかし、衝突からビル崩壊まで実は102分間の猶予が存在し、1万4,000人を越える人々が脱出に成功している。犠牲者のうち、1,500人以上は飛行機の突入時には生存していたと考えられるが、ビル崩壊前に脱出できなかったため死亡した。彼らの命を奪ったのは、情報伝達の混乱、建物の構造的欠陥、避難計画の不備であり、危機管理の重要性を教えてくれる。

上記エントリで紹介した『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』は、必読と断言できる本だ。多くの登場人物が錯綜し、読んでいて混乱することもあるが、まさに混乱の極みであった現場を描写するのだから致し方ない面もあるだろう。一体あのビルの中で何が起こっていたのか、生存者たちは、消防士たちは、一体どんな行動を取っていたのか、多くの証言、記録から積み上げられた描写が、凄まじい状況の一部を垣間見せてくれる。圧倒的な事実に驚愕することになるだろう。値段と読むのに費やす時間だけの価値は絶対にあるので、未読の方は是非手にとってもらいたい。できるだけ多くの人に読んでほしいと思う。

 北タワーから人が飛び降りているのが最初に目撃されたのは8時48分か49分、アメリカン航空機の突入の2,3分後だった。ジェット燃料が燃えさかる焦熱地獄にいた人たちだった。最初の頃は意図的に飛び降りるというより、むしろ反射的なものだった。熱いストーブに触れた手が、さっと引っこめられるようなものだ。熱から逃れるのに、彼らは炎を突っ切っていく必要はなかった。反対側の壁がすっかりなくなっていたのだ。ひとりで、あるいはふたりで手をつないで、彼らは窓枠を乗り越えて外に出た。そこだけが熱と煙から逃れる場所だったのだ。

 男が、女が、男女が一緒に。

 このあと、北タワーの上層階にいた人たちは部屋に戻ってドアの隙間をふさいだ。だが煙の勢いは容赦なく、かれらはまた窓際に追いつめられた。だがその窓は開かなかった。煙と炎が迫ってくる中、多くの人が911番に電話をかけ、窓柄ガラスを割っていいかと尋ねた。いけませんと、電話受付係は答えた。もっとひどい状態になりますと。しばらくすると、また電話をかけてきて、もうすでにひどい状態になっているのだと訴えた。部屋の向こう側では何人もがガラスを割っていると、彼らは言った。そしてそこから飛び降りていると。

休暇にもかかわらずニューヨーク中から駆けつけた消防士たちの奮闘は、しばらく後に彼らに訪れる無慈悲な結果を知っているだけに読んでいてつらい。彼らに適切な装備があって、適切な指示誘導が行われていたのならと思わざるを得ない。また、自分の避難を後回しにして、多くの人を助けてまわったフランク・ディマティーニらの行動は、賞賛されるべきものだ。

リック・レスコーラが、ビル内に残っている従業員を救助に向かう時に最愛の妻に電話で告げた言葉は、今でも最もお気に入りの言葉のひとつだ。

「どうか泣かないで欲しい」リックは言った。「ぼくは仲間を助けなければならない」

泣きじゃくるスーザンにリックは告げた。

「もし、ぼくの身に何か起こったら、君がぼくの人生のすべてだったということを覚えていてほしい」

そして──電話は切れた。

あのとき、あの場所で何が起こったのかを正確には知ることはできない。しかし、証言を積み上げていくと、少なくない人々が、少しでも多くの人を助けようと奮闘した事実が浮かび上がってくる。彼ら彼女らは、ぎりぎりの状況にも関わらず、他人の事を考え行動する事ができた。

今年から9月11日は米国の「奉仕と追悼のための国民の日(Patriot Day and National Day of Service and Remembrance)」に指定されたそうだ(大統領宣言)。「奉仕」という言葉が入っていることに注目したい。

 「怒りを風化させてはならない。しかし同時に、われわれが示した思いやりや自己犠牲をも忘れるべきではない」。9・11の犠牲者の遺族らによるボランティア団体、「マイ・グッド・ディード(私の善行)」の共同設立者で、自らも弟を亡くしたジェイ・ウイナック氏はこう話す。

http://sankei.jp.msn.com/world/america/090909/amr0909091843008-n1.htm

犠牲者の「追悼」に関しては日本でも多くの報道がなされたと思うが、一方、「奉仕」の面についてはあまり多くは語られていない。どうかそこも忘れないで。

参考文献

9・11生死を分けた102分  崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言

9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言