日本語力の二極化

ジャストシステム第二回全国一斉!日本語テストを開催している。締切は2月末だが、選択肢30問、5分ほどで回答可能なのでまだ試していない人は試してみてはいかがだろう。筆者の点数は86点、いくつか間違えてしまったが平均点と比べるとそこそこの出来らしい。難易度は低く感じられたので、平均点はもっと高い印象だったのだが、全体として日本語力が低下していると言うことだろうか。

年代別の傾向を見るとどの年代も語彙力が芳しくないことがわかる。語彙推定テストは単語親密度を用いて少数の語彙セットによる評価により、精度良く被験者の語彙数を推定することができる。語彙セットは親密度順に並べられるので、最初のほうは簡単な語彙が並ぶが、後ろのほうには聞いたことが無いような語彙が出現する。実際には後ろの方の語彙をどの程度知っているかが推定語彙数を左右することになる。

筆者の推定語彙数は58,800語。「図説日本語」林大監修(角川書店)によれば、語彙数の平均値は大学生でおおよそ4.5〜5万語なっているが、日本語テストの結果を見る限り、平均値はもっと少ない気がする。漫画やライトノベルなど簡易な表現を用いた作品の氾濫、インターネットの普及による脱活字化*1が原因だろうか。

一方で、「外来語」言い換え提案など、なじみの無い語彙を言い換える提案も行われており、インターネット時代において語彙の標準化の圧力が従来より強まっているように感じる。

知られていない語彙はむしろ死語といっても良く、情報伝達を目的とするならば使わないほうが適切であることは確かだ。しかし、小説等の描写で、背景に照らし合わせてより適切な語句があるのに、それが使われず迂遠な表現や誤った表現が使われると萎える原因ともなるので、文章の書き手の語彙は多いほうが良いだろう。たとえライトノベル作家でも。

結局、小説の文章と、インターネットのたとえばblogの文章は、使われる語彙セットも表現も異なるのだ。blogは不特定多数への意思伝達を目的としている場合が多いので、なるべく平易な語彙を用い、文学的表現を極力配したシンプルな表現が利用されるべきだ。一方、小説はアートなので、その小説の雰囲気に応じた語彙選択、表現が行われるべきであり、著者に必要とされる語彙数は当然多くなる。

ネット上における文書閲覧行動を考えた場合、はてなキーワード等による自動リンク付加、Wikipediaオンライン辞書等の検索などによりユーザが未知の語彙の意味を簡単に知ることが出来る点、書き手の職業が多様化し、マイナな業種におけるテクニカルタームを目にする機会が増えた点から、もともと読書が好きでそれなりの語彙をもつ人は、より語彙を増やしやすい環境にあるように思う。PCの普及に従い利用される漢字の数が増えたように、そのような層の語彙も徐々に増加していくだろう。

一方で、一言コメントのような短い文章しか読まないユーザの語彙はどんどん少なくなっていく危険性がある。ネットから長文が消えたいくつかの理由に書かれているように、ネット上の文章はどんどん短文化する傾向にある。自分の嗜好にあったページ群がひとたび固まれば、それだけを日々読むようになる。そのような文章を大量に処理したところで、語彙が増えることは無いだろう(情報処理能力は上がるだろうが)。

このままいくと日本語力の面でもデジタルデバイドがより進行しそうだ。

*1:インターネットでも活字は読むが、2ちゃんねるを読んでいて語彙が付くとはあまり思えない