ニコニコ動画最大のイノベーション

LM-72007-02-28

YouTubeによるアクセス遮断の理由

前回、ニコニコ動画の傾向と対策においてニコニコ動画の利用方法を「単純ツッコミ型」、「昔語り型」、「お約束型」の3つに分類した。特に「お約束型」は明示的・暗黙的お約束に従い不特定多数のユーザで新たなコンテンツを創造するクリエイティブな活動であることを示し、ニコニコ動画の生み出す新たなコミュニケーションの可能性に期待を示して結んだのだが、まさにその日を最後にニコニコ動画はβサービスを終了することとなった。

ニコニコ動画をサービス終了に追い込んだのは、動画を提供するYouTubeのアクセス遮断であった。YouTubeがアクセスを遮断した理由としてはいくつか考えられるが、ニコニコ動画のインフラただ乗りを嫌ったというのは実質的な理由としては最も大きな者であることは間違いない。著作権上の問題もあげることが出来るが、そもそも著作権者の既得権益を破壊してきたYouTubeにとって著作権が真の理由になることはちょっと考えにくい。

ニコニコ動画の生み出す価値

しかし、YouTubeがアクセスを遮断することになった本当の理由は、自らが保有している動画それ自体ではなく、それを用いたニコニコ動画というサービスに想像すらしなかった新たな価値が生まれたまさにその点にあるニコニコ動画の特性として単体では面白くないコンテンツにコメントを付加することで面白いコンテンツにすると言う効果があるが、極端な例を挙げれば、YouTubeが莫大なコストをかけて蓄積、管理、送信する動画自体にはほとんど価値がないのだ。そして、驚くべき事にニコニコ動画が付加する個々のコメントというメタ情報にも、価値がない場合が多い。

では一体、価値がどこに生まれたのかと言えば、それはニコニコ動画がもたらす麻薬のような一体感に他ならない。「単純ツッコミ型」で本能の赴くまま突っ込み、「昔語り型」で同好の士と感想や体験を語り合う、そして「お約束型」においてみんなと力を合わせ、一定の方向性をもった新たな価値を創造する。この一連のアクティビティにおいて創出される一体感はオリジナルの動画には無い全く別のベクトルを持った価値であり、オリジナルコンテンツである動画を有するYouTubeの影響力を相対的に低下させる。オリジナルの動画にも無い、コメントというメタ情報にも無い、その新たな価値は一体感を醸成するユーザ体験そのものなのだ。

ニコニコ動画がもたらしたパラダイムシフト

ニコニコ動画のサービス以前に、ニコニコ動画のように動画上にコメントを書き込めたら面白いだろうと考えていた者は大勢いるだろう。しかし、そうした者はきっと発生するであろうスパムコメントをどう駆除するか、有意なコメントをどうやって埋もれなくすれば良いかと考えたに違いない。それは彼らが、動画に付加されるコメントというメタ情報そのものに価値が存在していると考えていたからに他ならない。Flickrのような写真共有サービスからの素直な連想でありこう考えるのは無理もない。面白い動画を見つけるためにコメントを利用する。あくまで主体は動画なのだ。コメントは動画を説明したり、見つけるための検索キーワードとして利用される。検索語として価値あるコメントを守るためにコメント評価システムが必要になるが、その実装はサービス実現の大きな障害に見えた。

ニコニコ動画の最大のイノベーションは、動画に付加される個々のコメントには価値がなくてもかまわないことに気づいた点にある。ユーザが求めるのは動画でもなければ、それに付加されるコメントでもないことにひろゆきは気づいていた。ニコニコ動画は、スパムコメントを排除したり、コメントを評価したりする機能を持たず、ユーザから入力されるコメントを単純に追加するだけというきわめてシンプルなアーキテクチャで構成された。「そんな方式で有意なコメントが集まるわけ無い」、コメントにこそ価値があると信じて疑わなかった同業者はそう思ったに違いない。

そのとおり。実際ニコニコ動画には有意なコメントはほとんど存在しなかった。あの大量のコメントのうちどれだけが動画の検索に役に立つというのだろう。しかし、それでよかったのだニコニコ動画が提供する最大の価値はそれらを組み合わせることで生まれては消えていく一体感というユーザ経験であって、動画もコメントも一切保持せずどんどん使い捨てていくことができた。それらを評価したり、蓄積・管理する必要なんて一切無かったのだ。主役は動画でなかったのである。

ニコニコ動画以前にこの事実に気づいていた者がどれだけいただろうYouTubeは自らが提供する動画を用いたサービスの中に、自らが想像していなかった次元の異なる価値を創出するサービスが出現したことに驚愕し、アクセスを遮断したのだと思う。自らが主役と信じ、莫大なギャラを払って囲い込んできた動画は、すでに主役の座を追われていたのである。ニコニコ動画が、動画共有サービスにパラダイムシフトをもたらしたのだ。清水氏はこれを「体験が技術を凌駕する恐怖」と形容しているが、まさに正鵠を射ていよう。

ニコニコ動画がもたらしたモノ

ニコニコ動画は一体感を醸成するユーザ経験が、きわめて単純な構成で提供できることを明らかにした。また、そのユーザ経験が、コンテンツそのものや、そのメタ情報よりも大きな価値を持つことを示した。これらをふまえて、Webサービス事業者は、どうやればこのユーザ経験をよりよく提供することが出来るのかと言う視点でサービス構築を考えていくことになる。3月3日には動画投稿サイトであるニコニコ動画(γ)の開始が予定されており、休む間もなく事態は次の局面へと進んでいる。もちろん座して死を待つYouTubeではないだろう。ニコニコ動画が示した新たなパラダイムの中で、ニコニコ動画YouTubeがそれぞれどのようなサービスを引っ提げてくるのか楽しみに待ちたい。