日本人が英語が出来ないのは試験のせい

MorgueFile & the photographer


先日、職場に外人から電話がかかってきて、しばらく電話をとった者や助けを求められた周囲の者を混乱に陥れた後、結局筆者の所に回ってきたことがあった。話を聞いてみると、すでに職場を移った人に連絡を取りたいと言うことだったので、異動先の電話番号を調べてそちらにかけ直すよう伝えたのだが、会話自体は非常にシンプルなものである。大卒の社員がそんな簡単な受け答えさえできないというのは、由々しき問題である。

旧聞に属するが、文部科学省がまとめたところによれば、中学校の英語の先生で英検準1級以上を取得しているのは4人に1人に過ぎないという。具体的には、英検準1級やTOEICで730点以上、TOEFLで550点以上を取ったことがある英語教師の割合は、中学で全体の24.8%、高校で48.4%だったという。

2007-02-05付エントリー『日本企業が求めるTOEICスコアは低すぎて役に立たない』で示したように、英検準1級とTOEIC730点だったら、TOEIC730点の方がずっと簡単で、英検準1級はTOEIC900点ぐらいの実力がある。そのため、英検準1級とTOEIC730点を同列に扱うこの調査はどうかと思うが、それにしても日常会話や業務が英語でこなせる英語力を持つ英語教師は4人に1人に過ぎないというのは極めてお粗末と言えるだろう。あとの3人のレベルはどの程度なのか。

きっと大学や高校の入試問題を説くためのテクニックを極めて効率的に教えるような先生はもっとたくさんいるのだろう。しかし、そうしたトレーニングが英語が話せる全くことにつながらないのは、日本の英語教育の大きな問題である。4年生大学への進学率は5割程になるが、その場合、中学3年+高校3年+大学4年と合計10年も英語を勉強することになるのだ。石の上にも3年と言うが、その3倍を超える10年も勉強するにもかかわらず、いっこうに英語でコミュニケーションが出来るようにならないのはどうしたことだろう。

英語の出来ない教師に学んでも英語が出来るようにならないのは道理である。教師も生徒も英語ができるようになる勉強をしていないからだ。教師も生徒も試験ができるようになる勉強しかしていないからだ。そして残念なことに、日本人には不幸なことに、英語が出来ることと、試験が出来ることはイコールではない。

このようなシステムを続けている限り中高生の英語能力が向上するはずがない。同じ文部科学省の調査によれば、英検準2級程度以上の英語力を身に付けた高校3年生は全体の27.8%、英検3級程度以上の中学3年生は同33.7%にとどまり、計画の目標(卒業生の4〜6割程度)をかなり下回っていることが明らかになっている。英検準2級は海外旅行で英語の標識が読めるレベルであり、率直に言えば英語がまるっきり出来ないのとほぼ等しい。そしてそのレベルにさえ達しない者が7割を超えるのだ。せめて英検2級レベルぐらいないと、高校3年までの6年間英語の勉強に費やした時間には見合わないだろう。近年公立高校にもネイティブスピーカーがティーチングアシスタントとして参加するようになり、辛抱強く続ければそれなりの効果は出ると信じたい。しかし、根本的にもっと話す機会を増やさないと、なかなか英語のコミュニケーション能力はつかないだろう。

結局、日本の教育システムにおいて、試験が変わらないと、その試験の準備として行われる教育が変わることはない。英語が出来ることと試験が出来ることをイコールにするしかないのだ。読み書き中心の英語試験を、コミュニケーション能力を測る試験に変える。これこそが真っ先に行うべき改革である。試験が変われば教育は変わる。日本の教育はすべて試験のために行われていると言っても過言ではないからだ。

英語授業はいっそのことすべてネイティブスピーカーによる英語ONLYの授業にすればよい。センター試験の英語科目は廃止し、1年以内のTOEFLの点数を利用するとかそういう事にすれば、高校生の英語のコミュニケーション能力は飛躍的に向上すると思うのだが、どうだろうか。

ま、義務教育がとうに過ぎ去った我々には、自力で勉強するしか手はないわけだが。