まともなメールが書けない人々

LM-72007-08-28


FPNの『「件名なし」のメールを「常識」とする若者たち』というエントリでは、初対面の人に通用するはずがない相手のことを考えないメールが急増していることが記載されており、確かにそういう傾向があると筆者も大いに共感した。

・自分は誰かわかってもらえている。
・用件は何かわかってもらえている。

恐ろしいまでのこの先入観なんです。
コミュニケーションの危機を感じませんか?

http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=2621

そう、読む側への配慮が致命的に欠如しているのだ。たまにこちらをエスパーか何かと勘違いしているのか?と疑念を抱かざるを得ないメールが来ることがある。ただし、ビジネスメールはいつの間にか過去のスレッドを全て引用して送信することが半ば常識となっているため、本文が意味不明でも引用された過去スレッドを読むことで理解できる場合が多く、この問題が顕在化することが少ないのかもしれない。

筆者の周辺では、引用先で挙げられているような酷いメールはあまり見ることはないが、上から下まで全部読まないと結論が分からないメールは多い。小説やブログなどのエントリでは、オチをつけるためにわざとそういう構成にする場合が多いが、メールは情報伝達手段であるので、最初に結論など伝えたいことを記載し、続いてその詳細を記載するべきだと思う。詳細は気になった人だけが読めばいいし、最低限最も伝えたかったことさえ伝わればそれでよい。資料だけ添付してあるメールは最悪で、内容を知るためには添付資料を開かねばならない。少なくともメールの本文中にその資料のポイントを記載するなどの配慮をするべきだ。

ビジネスメールでやりがちなのは、先頭から末尾の結論に至るまでの思考過程をそのまま時系列に書き下した構成だ。これは、自分はこんなにいろいろ考えたので、あなたも同じように考えてくださいと言っているようにしか見えない。そうではなくて、まず結論を伝えてくれて、その後にその結論に至った理由をわかりやすくまとめてくれていればそれでいいはずだ。メールを受けた上司は、結論が予想されたものならば理由の部分は読み飛ばすことができるし、結論が予想と違えば後半の詳細部分を読めばよい。

「最初に結論を書け」 特に長文のメールを書くときの鉄則であり、これを気にするだけでかなり違う。

このような基本は、読む側の身になって配慮すれば自然と導き出されるものだが、先人たちの成果を拝借するのが早い。その点で、Barbara Minto著『考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則』は大変よくまとまった良書であり、メールを介したコミュニケーションを多用する現在においては、必読の書だと思う。どういう風に書けばわかりやすい文章が書けるのかと日々模索している人は是非一度手を取ってみるとよいだろう。

そんな偉そうなことを言っている筆者もまだまだ訓練が足りず、「何を言っているか分からない」とよく怒られるのだが:-P

考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則

考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則