インターネットは恋人の代わりになるのか?

産経新聞によれば、米国の調査で、米国の4人に1人が「インターネットは恋人代わりになり得る」と感じていることが明らかになった。これによれば、回答者の24%が「ある一定期間はインターネットがパートナー代わりになり得る」と答えたという。この回答は独身者に限ると31%に上昇するものの、男女間の性差は見られなかったという。

一体恋人に何を求めるのかによって、この回答は異なるはずだ。恋人が単なる暇つぶしの手段であるならば、インターネットに限らず、映画や本、テレビや旅行などでも恋人の変わりとなりうるだろう。逆に恋人が自分の子孫を作るための手段であるならば、インターネットにその代役を求めるのは酷だろう。

筆者にとってインターネットは様々な事柄を調べるツールであり、知識の根源である。一昔前ならよく知っている人を探し出して聞き出すか、図書館で関連書籍を探ることでしか得られなかった知識が、たちどころにして得られる、生き字引のような存在だ(インターネットは生きてないので生き字引はたとえが不適切だが)。その場合、恋人に生き字引的な役割を求めているとするならば、インターネットが恋人の変わりとなりうると言う命題は真となるだろう。

もう少し進めて、もっとも身近に居る相談役と考えれば、真となる割合は大きくなりそうだ。ちょっと人には聞きづらい疑問も検索エンジンを使えば簡単に解決するし、2ちゃんねるの匿名掲示板で聞いてみたり、あるいは人力検索などで他人の力を借りても良い。他人の力が簡単に借りられるのもインターネットの大きな利点だ。恋人はもっとも身近な相談役となりうるが、あまり重い相談事で無ければインターネットでも代役を担うことができるだろう。雰囲気の良いサイトなら良き理解者ともなり得るかもしれない。

恋人を同じ価値観を共有するものと定義するのならば、インターネットのファンサイト等はその代わりとなり得るだろう。自分の思いを吐露し、他人の思いに共感することによって、人との結びつきを確認する。インターネットは物理的距離などの様々な制約を乗り越えて個人同士を結びつける。物理的制限に制約される条件下で見つけた自分の恋人よりも、適切な人がネットの向こうにはいるかもしれない。

そんな風に考えると4人に1人という割合はそう高い割合ではないのかも知れない。どちらも四六時中繋がってないと不安になる人は多いわけだし。