透明人間になる方法 〜光学迷彩の可能性〜

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1897年 H.G.Wellsが提示した透明人間というアイデアは多くの人の心を魅了し、以後多くの派生ストーリーを生み出してきた。しかし、実際には透明人間の実現は難しい。人は網膜に結像することで外界を見ているが、網膜が透明になると目が見えなくなる。血液を透明にするためにはヘモグロビンを排除する必要があるが、酸素が運搬できなくなる。他にも身体の色を形成する葉緑素、胆汁色素、メラニンなども人の身体にとって不可欠な要素であり、取り除くことはできない。

物理的に透明に出来ないのであれば、何か別の方法を考えてやらねばならない。士郎正宗攻殻機動隊に登場した光学迷彩はどうだろう。背景に見えるべき映像をリアルタイムに前面に投影してやれば、そこには何も無いように見えるはずだ。


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再帰性反射材

東京大学の舘研究室で行われた光学迷彩(Optical Camouflage)に関する研究は有名である[1]*1光学迷彩は、光が入射した方向に反射する素材──再帰性反射材──を遮蔽物体に対し貼付した上で事前にもしくは実時間で撮影した背景映像をプロジェクタで投影することにより実現する。右上図は舘研究室の研究紹介ページからの引用だが、再帰性反射材を塗布したコートに、観察者の視点位置における背景画像をリアルタイムに合成、投影することによって実現されている。


このシステムには構成上の制約から次の課題がある。

  1. 観察者の視点と光学的に共役な位置にプロジェクタが無くてはならない。
  2. 透明化を実現する物体の背景は投影される画像でなくてはならない。
  3. 透明化の対象物を再帰性反射で覆う、あるいは、再帰性反射塗料を塗布する必要がある。

また、再帰性反射材の特性から次も問題になる。

  1. 再帰性反射材に対する視線の見込み角が浅いところでは画像の明度が低下する。
  2. 水などの液体に弱い。

プロジェクタの配置問題が一番厄介だが、観察者の視点位置が測定可能な場合、実時間でキャプチャしたカメラ画像に対しIBR等の処理を行った後に小型プロジェクタより対象物体に映像を投影することにより将来的にはある程度限定された状況において実装可能と考えられる。攻殻機動隊でも光学迷彩が雨や埃に弱い描写がなされていたが、実世界における応用を考えると対象者の視覚プロセスに割り込む方が幾分楽かも知れない。

プラズモニクス(Plasmonics)

一方、プラズモニクス(Plasmonics)応用も有力な選択肢だと見られる[2]。プラズモニクスが扱うのは電子の波である。導電性の高い金属に光ビームを照射すると、池に意思を投げ込んだ時のさざ波のように、電子密度の過密パタンが波となって金属表面を伝わっていく。この電子密度の波をプラズモンと呼ぶ。プラズモンは電子が移動するよりも速く伝わるため大量の情報の高速伝送に応用が可能ではないかと期待されている。また、プラズモニック材料で、顕微鏡の分解能や発光ダイオードの効率、化学・バイオ検出器の感度も向上すると見られる。

プラズモニック構造を共鳴周波数に近い電磁波で励起すると、その屈折率を空気の屈折率に等しくすることができ、光は直進する。一部は吸収されるだろうが、通過信号を適切に増幅して吸収による損失を補えば、ある特定の波長の光に対して透明になることができる。

構造内部の物体をあらゆる可視光周波数で隠蔽することは困難だが、ロンドン大学のJohn B. Pendryらは、メタマテリアルの殻で電磁波の進路を変え、内部の球状領域から反らせることを理論的に示した[3]

上図は論文よりの引用だが、青色で示されているのが通常とは異なる光学特性を有するメタマテリアルの殻(sphere)で、内部には赤色で示される空洞がある。宇宙船をこの殻で覆ってやると、光は宇宙船を迂回するように殻に沿って進むため、外部観察者からは中心にある宇宙船が見えず、背後にある銀河しか見えない。

このようにプラズモニクスの光学特性を上手く応用してやれば、将来的に透明人間を実現する光学迷彩を実現することが可能かも知れない。

参考文献

  1. 川上直樹, 稲見昌彦, 柳田康幸, 前田太郎, 舘, "現実感融合の研究─Reality Fusionにおける光学迷彩技術の提案と実装─", 日本バーチャルリアリティ学会大会論文集, Vol. 3, pp.285-286, 1998.
  2. H. A. アトウォーター, "ナノの世界を照らす次世代光技術 プラズモニクス", 日経サイエンス, Vol.37, No.7, pp.18-26, July 2007.
  3. JB Pendry, D Schurig, and DR Smith, "Controlling Electromagnetic Fields", Science 312 1780-2, 2006.

*1:本技術は米TIME誌に掲載されるなど有名だが、共著者の1人である稲見教授(慶應大学)によれば、ゴルゴ13光学迷彩服として登場したことが一番嬉しかったと述べている。