幽体離脱アバタ操作型実世界環境の作り方

我々の自我は身体のどこに存在するのか? 我々は目という窓を通して実世界を眺めている感覚を有しており、すなわち、自我が目の奥に存在すると感じている。ところが、稀に自我が自分の身体から浮遊して別の位置にあるように感じられる場合がある。『心の脳科学―「わたし」は脳から生まれる (中公新書)』では自我が存在する(と我々が考える)位置について興味深い科学知見を扱っており、本エントリで紹介したい。


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幽体離脱のメカニズム

側頭葉と前頭葉の境界にあたるTPJ(temporo-parietal junction)に障害がある人は幽体離脱体験(out-of-body experience)や、自己像幻視(autoscopy)と呼ばれる体験をすることがある事実が知られている。幽体離脱体験とは、自分の身体の場所はそのままで、自我だけが身体から離れて行くように感じられる現象であり、自己像幻視は自我の位置はある場所に留まったまま、身体だけが自我から離れた位置にあるように言える現象である。これらは両方同時に発生する事もある。下図はBlankeらの報告*1からの引用であり、TPJに障害をもつてんかん患者が自分の体験を絵に描いたものであり、(1)自分が椅子に乗って宙に浮かぶように感じ、(2)自分の身体が前方に移動しているように見え、(3)下を見ると妻Aが座っているのが見えるが、自分が座っている椅子Bは空っぽに見えたという。



TPJは、視覚、触覚、身体の平衡感覚の情報が集まってくる領域である。脳はここで自分自身の身体との相対関係から、仮想的な自我の位置を導き出すと考えられている。目からの視覚情報、触覚などの体性感覚情報、関節などの位置感覚情報、平衡感覚情報などが、自我の位置を導出するヒントとなる。そのため、TPJに障害が発生すると、自我の位置を導出するプロセスに異常が生じ、結果として自分の身体位置とは異なった場所に自我を位置させてしまうのだ。これが幽体離脱体験や自己像幻視の原因と考えられている。これらは超常現象や臨死体験として紹介される場合が多いが、脳のはたらきで論理的に説明できるのである。

人工的に幽体離脱を実現する方法

この現象は実験的に再現する事ができる。多くの関連研究が存在するが、最も劇的な効果を発揮するものがBina Lenggenhagerらによるものである*2。下図は論文からの引用である。



HMDを装着した被験者を立たせ、被験者の後方2mの位置からカメラで被験者の身体を撮影する。被験者はHMDで自分の身体を後方から見る事となる。ここで実験者が被験者の身体を棒で軽く叩く。被験者は自分が叩かれている画像を見ると同時に、自分の背が叩かれている感覚を感じる。これを数十秒続けると、自分の身体は目の前にあるのに、自分の自我はその後ろに位置しているような感じがしてくる。

この感覚はビデオの再生を遅らせて視覚と触覚の同期をずらしてやると生じなくなる。この同期が、目の前に見えている映像が自分自身の身体だと認識する為に決定的に重要なのだ。そして自分の身体が前方に見えている以上、自分の自我は後ろに位置していると考えざるを得ない。こうして、幽体離脱が実現するわけだ。これはHMDとカメラがあれば簡単にできる。たとえばこちらのblogでも実際にやってみた様子が紹介されている。

テレイグジスタンス

リアルタイムフィードバックが適切に与えられれば、ネットワークを介した遠隔地にも自我の存在を飛ばす事が可能だ。テレイグジスタンス(telexistence)東京大学の舘翮教授に提唱された概念*3であり、操縦者が遠隔に存在するロボットを介してあたかも遠隔の環境にいるような感覚を持ち、精密な作業やコミュニケーションを可能にする技術である。一般的な遠隔操作(teleoperation)との本質的な違いは、時間遅れが少なく、視野・頭部-腕運動系が適合したフィードバックにより、まさに幽体離脱体験、自我が遠隔地に存在するかのような感覚が生じるところにある。


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テレイグジスタンスロボット「TELESAR」 - Tachi Labより引用

テレイグジスタンスがもたらす体験は、自我に関する哲学および精神分析学問題に対する工学の回答となっていると言える*4

自分自身のアバタを操作して実世界を生きる

常に後方からカメラが追尾するような環境を実現できれば、ゲームで言う主観視点ではなく後方視点で自分自身をアバタのように見る事ができる*5。あとは自分の身体をコントローラで操作できれば完璧だ(自分の身体なのだから自分で動けばよいのは分かっているが、そこはそれ)。

人間を意のままにコントロールする人間リモコン』で紹介した人間リモコン(human remote control)*6は被験者の耳の後ろに装着した電極に電流を流し前庭感覚を刺激することで、仮想的な加速度を生じさせるもので、被験者は身体が横に傾くような感覚を覚える。その結果、コントローラで示した方向に知らず知らずの間に進む事となるのだ。下図は論文からの引用である。



将来的には運動神経に直接電気刺激を与える事で身体の各部位をある程度意のままに動かす事が可能となるだろう(繰り返しだが、そんな事をしなくても自分で動けば良い)。こうした技術を応用すると、実世界をフィールドとしたリアルタイム実世界ゲーム環境が実現できることになる。後方視点でアバタである自分自身を観察し、操作できる環境が実現できると何が変わるだろうか? 少なくとも、自分を客観視する事は容易になるので、言動や身だしなみに注意を払うようになるだろう。そう、自己中心的だった個人個人の視野が、環境にまで広がるのだ。工学技術により拡張されたAugmented Human*7は実世界、仮想世界とのインタラクションを、より広く、深く有するようになる。

ただし、このゲーム、アバタには運動能力、容姿などの能力値がシビアに設定されおり、取り替え不可で、セーブ&ロードなし、バックログなし、ファーストプレイのみの鬼難度である。RMT(Real-Money Trading)が幅を利かし、何世代も前からの古参ユーザの中には一生かかっても逆転できないようなレベル、資産を有するものもいる世界だ。回避不可のイベントの中には理不尽としか言いようの無いものも多く存在する。心して取り掛かられたし。

参考文献

心の脳科学―「わたし」は脳から生まれる (中公新書)

心の脳科学―「わたし」は脳から生まれる (中公新書)

*1:Olaf Blanke, Theodor Landis, Laurent Spinelli, and Margitta Seeck: "Out-of-body experience and autoscopy of neurological origin", Brain, Vol.127, No.2, pp.243-258, (2004).

*2:Bigna Lenggenhager, Tej Tadi, Thomas Metzinger, Olaf Blanke: "Video Ergo Sum: Manipulating Bodily Self-Consciousness", Science, Vol.317, no.5841, pp.1096-1099 (2007).

*3:S. Tachi, K. Tanie, K. Komoriya and M. Kaneko, Tele-existence (I): Design and Evaluation of a Visual Display with Sensation of Presence, RoManSy 84 The Fifth CISM-IFToMM Symposium. pp.206?215 (1984).

*4:テレイグジスタンスに関しては、稲見先生よりコメントを頂いた。感謝します。

*5:後方視点を実現する研究として、背中に背負うサオの先につけた映像記録CCDカメラとヘッドマウントディスプレイからなり、自分自身の後ろ姿をその場で見ることができるスキー支援システムが提案されている。スキーをより楽しくするための撮像・提示系参照。

*6:Taro Maeda, Hideyuki Ando, Tomohiro Aemiya, Masahiko Inami, Naohisa Nagaya, Maki Sugimoto, "Shaking The World: Galvanic Vestibular Stimulation as A Novel Sensation Interface", http://www.brl.ntt.co.jp/cs/avi/parasitic_humanoid/

*7:Augmented Humanの日本語訳について昨日慶應大稲見教授の@drinamiで話題になった。強化人間、改造人間、添加人、擬体化、ニュータイプ等いろいろ案が上がっているが、個人的には工学的超能力者とかが良いと思う。