日本経済新聞電子版の価格設定から透けて見える日経のホンネ
来る3月23日日本経済新聞 電子版が誕生するという。日本経済新聞の朝刊・夕刊の最終版が読めるのに加え、「電子版」の独自ニュースや解説記事を24時間配信するという。購読料金は宅配+電子版の日経Wプランが月極購読料+1,000円、電子版月極プランが4,000円という設定だ。
この価格設定、行動経済学の観点からすると大変興味深い。昨年のベストセラー『予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』にまさにぴったりの事例が紹介されているので、未読の方の為に紹介したい。以下は本書の第1章「相対性の真相」のエッセンスを抽出し再構成したものである。この本は行動経済学の入門書として大変面白く書かれているので、未読の方には一読を強くお勧めする。
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おとりによる選択行動の変化
あなたは経済新聞「エコノミスト」に興味がある。そこでWebサイトをチェックしてみると次の3つの購読プランが紹介されていた。あなたはどれを選択するだろうか。
- ウェブ版だけの購読($59)
- 印刷版だけの購読($125)
- 印刷版とウェブ版のセット購読($125)
この3つの選択肢を提示されると、多くの人が3番目の選択肢を選択するだろう。実際MITの学生100人に選択させると、次のような結果になった。
- ウェブ版だけの購読($59)──16人
- 印刷版だけの購読($125)──0人
- 印刷版とウェブ版のセット購読($125)──84人
MITの学生達は優秀なので、印刷版とウェブ版のセットの方が印刷版だけより得だと全員気がついている。さて、印刷版だけの選択肢を選んだ学生はいなかった訳だが、もし、印刷版だけの選択肢(以下「おとり」と呼ぶ)が無かったとすると、学生達は前と同じ判断をするだろうか?論理的に考えれば勿論同じ選択を行うはずだ。おとりは誰も選ばなかったのだから。しかし、結果は次のようになった。
- ウェブ版だけの購読($59)──68人
- 印刷版とウェブ版のセット購読($125)──32人
何が学生達の選択を変えたのか? 結果的に誰も選択しないおとりがあるだけで、セット購読の選択を行う者が増えるというのは明らかに不合理だ。しかし、これは予想どおりの結果なのである(この行動を系統的に予測することを可能にするのが行動経済学である)。
相対性による選択
実は人間はものごとを絶対的な基準で選択する事はほとんど無い。今回のエコノミストの場合、$59のウェブ版と$125の印刷版のどちらが得なのかは、なかなか判断ができない。しかし、$125の印刷版と$125のウェブ+印刷版のセットであるならば、後者が得なのは明白だ。この相対性の判断が多くの人がセット購読を選択した理由である。
まず左の図を見てもらいたい。2つの選択肢A、Bがあり、それぞれ違う特性で優れている。選択肢Aは特性1で優れており、選択肢Bは特性2で優れている。この2つの選択肢の優劣は簡単には付けられない状況だ。
しかしここに仮に特性1においてAよりも少しだけ劣ったA'という第三の選択肢(おとり)が用意された場合を考える(右図)。この選択肢はAよりも劣っているが、Aとよく似ているため比較を簡単にする作用がある。さらに、AがA'より優れているだけではなく、Bより優れているような印象を持たせる効果がある。相対性の判断は簡単に行えるため、我々は簡単に行える相対的な比較ばかりに注目する傾向がある。そして、判断が行いにくい絶対的な比較は、相対性の前に忘れられるのだ。
つまり、おとりA'を加える事で、Aとの相対的な比較が簡単に行えるようになり、結果として全体としてもAが優れているような印象が生まれる。結果としておとりのA'を誰も選ばなくても、Aが選択される可能性が高くなるわけだ。
この相対性による選択傾向を知っているマーケティング担当者は、自分が本当に選択させたい選択肢よりも、ちょっとだけ劣っているがよく似ているおとりの選択肢を用意する。そして人々はまんまとおとりに惑わされ、本来なら選ばなかったであろう選択を行うことになるのだ*1。
日本経済新聞 電子版の価格設定
さて、この相対性を念頭において、今回の日本経済新聞 電子版の価格設定を見てみよう。
- 日経Wプラン(宅配+電子版):月ぎめ購読料(3,568円/4,383円)+1,000円
- 電子版月ぎめプラン:月額4,000円
- 電子版登録会員(特ダネ+見出しのみ):無料
この選択肢を見て1番目と2番目では明らかに1番目の方がお得に見える*2。実際、3番目の無料の電子版登録会員でも良いのかも知れないが、月に4,000円以上払う価値が日本経済新聞にあるかどうかは難しい問題ですぐには答えが出ない。しかし、1番目と2番目なら断然1番目だ。こんな具合に、少し日経も読んでおいた方がよいだろうかなんて思っている人は、1番目の選択肢に誘導されることなるわけだ。
つまり、日本経済新聞社としては電子版はあくまでおとりであり、本命は1番目の選択肢を選択させて宅配の日経新聞の購読者数を増やすあるいは維持する事にあるのである。実際、日本経済新聞社の喜多恒雄社長は「紙の新聞の部数に影響を与えないことを前提にした価格設定」と説明している。
単純に日本経済新聞社の利益だけ考えると、1番目の選択肢と2番目の選択肢では、2番目の方が多いのかも知れない。それでも日本経済新聞社はあえて電子版ではなく、紙媒体の部数が伸びるような価格設定を行っている。少なくとも現時点においては電子版は本命の紙媒体の販促のためのおとりに過ぎない。Webに本腰を入れるとかかけ声は勇ましいが、ホンネは紙媒体なのである。すくなくとも現時点で紙媒体を購読している顧客が、紙媒体の購読を止めて電子版に移行する事は望んでいないはずだ。
このスタンスが過渡期の一時的なものなのか、それとも日本経済新聞がもつ簡単には変えようの無い特性なのか、答えが出るまでそう長い時間はかからないだろう。そう、彼らがいうように、時代の変化は彼らを待ってはくれないのだから。
参考文献
予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」
- 作者: ダンアリエリー,Dan Ariely,熊谷淳子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2008/11/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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