無職の司法試験合格者たちの明日はどっちだ?

毎日新聞が報じたところによれば、司法試験に合格して弁護士事務所への就職を目指す2,200人前後の司法修習生のうち、最悪の場合400〜500人が就職先を確保出来ない恐れがあるらしい。司法試験制度改革の一環で、合格者が急増したのに、求人数が伸びていないためだという。

新司法試験は、司法制度改革により2006年より実施された、主にロースクール法科大学院)修了者を対象とした新しい司法試験である。この新制度により実質的に司法試験合格の難易度が下がり、2006年度に行われた第1回の新司法試験では、有受験資格者2,125人中、合格者は1,009人となった。合格率は48.35%となり、数%という苛酷な競争試験であった旧司法試験よりも大幅に競争が緩和された

これだけ合格者数が増えてしまうと気になるのはその質の問題である。法曹養成検討会の第3回配布資料の参考資料に最近の受験生の学力等に関する意見が上げられている。平成11年11月から同12年1月にかけて、司法試験管理委員会の担当者が司法試験考査委員13名から個別に意見聴取した結果なので、旧司法試験の話だが次のような感じだ。

2 論文式試験の答案について
表面的、画一的、金太郎飴的答案が多い
○同じような表現のマニュアル化した答案が非常に多い。
○答案がパターン化しており、それも同じ間違いをしている答案が多い。
○フレーズや文章の運びが同じで、総じて「落ちない答案」が多い。
判で押したような予備校で習ったブロックの組合せを書いている答案ばかりである
論理矛盾を起こしていることを気づいていない答案や、論点が違っても平気で違うことを書いている答案が多い。
○基礎から積み上げて勉強していく方式ではなく、論点についての解答を覚えているという感じである。
○自分の頭で考えず、逃げる答案が多い。
掘り下げが浅く、理由づけのない答案が多い
○4,5年前の答案も金太郎飴的であったが、その中にもよくできる答案や自分の頭で考える答案があった。しかし、最近では、極端にそのような答案が少なくなった。
文章は毎年下手になってきている。国語力が低下している

明らかに予備校における高度に専門化された受験対策による弊害だ。短期間で試験に合格することだけを目的とした勉強をするため、マニュアルの詰め込みに終始し、なぜそうなるのかという基本をどこかに忘れてしまっている。たとえば、論文対策は、論証ブロックカードというカードを丸暗記し、それを接続詞でつなぐだけらしい。上記のような批判が出るのも止むを得まい。

仮にマニュアル丸暗記であったとしても、数年を費やし勉強して難関の司法試験に晴れて合格した司法修習生を待つのは無職と言う現実である。司法試験に合格していたとしても、弁護士として未熟な人間をいきなり企業が雇うのは考えにくいので、どこかの弁護士事務所で経験を積むしかないはずだが、それさえも無理な場合、「司法試験合格者」という経歴は何かの役に立つのだろうか。上記のようなマニュアル詰め込み勉強の知識あるいは経験が何かの仕事の役に立つケースは稀だろう。万が一弁護士を諦め、まったく別の職種を志望した場合でも「なぜ司法試験合格者がウチに就職希望を?」と変に勘ぐられて逆に不利になったりしないだろうか。司法試験改革は無用な知識を頭に詰め込んだ役に立たない人間を増やしただけなのか?

ただ、あと数年立てば裁判員制度が導入される。裁判員制度導入は裁判を国民に身近なモノにするチャンスであり、弁護士がうまく扇動誘導することに成功すれば、日本が米国のようにすぐに訴訟に走る訴訟大国に一気に変貌する可能性もあるだろう。そうすれば弁護士は引っ張りだこになるに違いない(さもなければ弁護士は絶対余る)。その際重要になる資質は弁護士としての能力もさることながら、プレゼンテーションスキル、ディベートスキル、そして、マーケティングスキルだ。不幸にして無職となった司法修習生には、時間のあるうちにこれらのスキルを磨くことを提案したい。顧客とのインタラクションがあるセールスマンとして数年働くのが良いだろう。これらは司法試験対策では身に付かないスキルだが、彼らはこれから市場を開拓しなければならないのだ。裁判すればこんなにメリットがありますよとクライアントを誘導し、裁判の件数を増やしていかないとならないのだ。なぜこうしたスキルの養成コースがカリキュラムに組み入れられていないのか不思議でならない。リーガルテクニックとかそのあたりで触れられるのだろうか。