あんた、よほど暇なのね

遅ればせながら日垣隆著『知的ストレッチ入門―すいすい読める書けるアイデアが出る』を読んだ。大量のデータをインプットし、整理して解釈した上で、質の高い情報を継続的に提供できる処理能力の高い人が、どのような手順を持って情報処理に当たっているかがわかりやすくまとめてあり、大変参考になる良書だった。自分が普段何も考えずに行っている仕事が如何に時間と労力を無駄にしているか気づかせてくれる。目からウロコが何枚も落ちること請け合いである。

この中で、日垣氏は第5章「書く」においてブログを運営することについて多くの紙幅を割いている。日本のブログの特異性、記者によるブログなど興味深い指摘がなされているが、その中で、ブロガーの特徴を日垣氏はこう記述している*1

さらに推測で断定しておきますと、ブログにハマっている人々は、はっきり言ってインテリ層ばかりです。

とりわけ、35歳以上でブログを初めて嬉々としている方々は、小遣いの多くを本代に費やしてしまい書物の置き場に困っている人々に違いありません。

筆者(LM-7)は年齢条件を満たさないのだが、書物の置き場に困っていることは確かである。独身なので小遣いという概念がなく、置き場の問題さえクリアできるのならもっと大量に本を購入できるのだが、部屋が狭いのに本が増えると困るので自重している。自重していても書物はなぜか単調増加を続けており、どこかで手を打たないと手遅れになる気もする。もっとも、最近は積ん読状態の本が増えてきているので、こちらを片付けることが喫緊の課題となるわけだが。

インテリ層が、主に学問を修め、多くの現象を広い見識をもって理解して、様々な問題を解決する知恵を提供したり、その知識によって発見・発明された成果物を提供する事によって社会から対価を得て生活する層のことを指すのであれば、筆者はとてもじゃないがそんな域に達していない。あと10年ぐらい努力を続けて、なんとかそのような立場になれるぐらいになればすばらしいと思う。

しかし、世の中のブロガーがみんな知識人なワケはないので、ブログにハマるということは単にブログを毎日更新するという事を意味しないのかも知れない。

ただし、その圧倒的多数(99.7%)は、ビジット(Visit=訪問者数、Sessionも同じ)あるいはPV(Page View 頁単位の閲覧数)が年賀状や知人の数以下にとどまり、コメント(ブログに閲覧者が感想などを付け足す機能)やトラックバック(許可無しに相手のブログに自分のブログのリンクを張る機能)はせいぜい数件程度という枠組みは打破されないと思います。

どうも日垣氏の想定するブログはこの圧倒的多数を除いた残り0.3%を指すと考えても良さそうだ(少なくとも彼が残り99.7%のブログを日々読んでいるとは思えない)。ブログは多くの事柄に対してコンパクトなコメントを付加して紹介するニュース型と、ある一つの事柄に対して比較的長文を構成するテキスト型の2通りあると思うが、メジャーのは前者だ。また、PVに関しても更新頻度の関係もあり前者の方が普通多くなる。ブログを防備録と見た場合、自分が後から思い出すことが出来るだけの必要最小限の情報量さえ残しておけば良いはずなので、ニュース型の方がすぐれているが、それを他人が見て面白いかというと、集めてくるニュースの質が高いか、付加されるコメントが本質を突いているかのどちらかだろう。テキスト型は備忘録ではなく、多くのメモに基づいて一つの論説をまとめたアウトプットの成果だと言える。それを他人が見て面白いかどうかは、ネタの選択、インプットの質と量、ストーリーの構成、結論の意外性などが必要となる。ニュース型、テキスト型いずれにせよ多くのPVを集めるブログとするためには、それなりの知的生産が必要となるのでインテリ層が多いと言うことになるかも知れない。

ここで筆者は遅ればせながら気づいた。筆者は毎日ほとんど背景となるメモが0の状態でネタを決定し、それから検索エンジンWikipediaを利用して関連情報を収集、それをエントリとしてまとめるという作業をしていたのだが、本来、日垣氏が著書中で紹介しているようにメモを日頃から取っておいてそれが必要量を超えたらそのネタについてまとめるという作業をした方が当然ながら効率がよいわけだ。そもそも筆者はこのブログを備忘録として始めたはずなのに、なぜテキスト型になってしまったのだろう。

そもそも、ブログを毎日欠かさず更新し続けられる人は、一部のプロか、決壊寸前の問題をたくさん抱えていたか、書くのが相当に早いか、それを仕事の1つにしているか、よほど暇なのか、私事なのに勤務時間中にやっているか、のどれかでしょう。

あ、よほど暇なんだ。よほど暇ならインテリ層でなくても、毎日試験前夜の一夜漬けのように0からインプットをして、それなりのアウトプットを取り繕うことは不可能ではないということらしい。やはり運営方法を身の丈にあったものにすべきだろうかと少し考えているところだ。

*1:日垣氏は別の著書でも触れられているように、わざと極端な意見を断言し、読者の気を引くテクニックを多用する傾向がある