勉強せずに入れる大学に価値はあるのか?

共同通信が伝えた驚愕すべきニュースによれば、大学進学者の5人に1人が高校3年の時に家でほとんど勉強せず、2人に1人は勉強時間が2時間以下だという。少子化、大学定員の増加、学生を確保するための大学側の際限のない入学レベルの緩和というか急落が原因なのは間違いない。

 05年秋の第1回調査で、1年の時、平日に家や塾、図書館などで勉強した時間を振り返ってもらったところ「ほとんどしなかった」と答えた生徒が59%と最も多く、「約30分」13%と「約1時間」17%を加えた「約1時間以下」が89%を占めた。

http://www.47news.jp/CN/200709/CN2007092201000353.html

高校時代全く勉強せずとも入れるような大学に入学することに、何らかの意義があるのか実に疑問だ。決して安くはない授業料と青年時代の4年間という決して短くない時間を過ごすのに、そんな勉強せずとも入れるような大学を選択するのはとてももったいないように思う。

筆者は決して高校時代に熱心に勉強をした方ではないし、大学でもまともに勉強はしなかったのであまり人のことをとやかく言える身分ではないが、いくらなんでも全く勉強せずに大学に入れるというのはいかがなものかと思う。米国のように入るのは簡単でも卒業するのは並大抵の努力では足りないような大学に変革するか、センター試験である一定以上の点数を取らなければ高校卒業資格を与えないなどの改革をすべきだ。だいたい、大学生にもなって分数の計算ができないなんて論外だ。

近年、非正規社員の増加によるワーキングプア、ないしはネットカフェ難民が社会問題化しているが、そうした状況に追い込まれたのが、高校時代に全く勉強をせずに適当な大学に入り遊び呆けてきたことによるものだとすれば、自業自得という感じがする*1大学全入時代の教育システムは、勉強することをしない社会不適合者を量産しているのではないか。そしてそれこそが、ワーキングプア問題の一因となっているのではないか、そんな気がする。

高齢化社会に突入した日本において、貴重な労働人口である若年層を低収益の労働に従事させる余裕はないはずだが、教育システムの崩壊により、必要最低限のレベルさえ満たさない人材が量産されているのが現状なのではないか。ワーキングプア問題では、企業が糾弾される場合が多いが、長い目で見れば抜本的な改革が必要なのは教育システムだろう。とにかく強制的に学生に勉強をさせる仕組みが必要だと思う。

*1:もちろん、中には自らの全くの責任外の要因により、正規社員への道を閉ざされた人々もいるだろうし、そうした人々には適切な支援がなされるべきだろう。