○○ちゃんを救う会の説明責任 その2
海外での移植手術にかかる多額の費用を捻出するために募金活動を行う○○ちゃんを救う会。十分な情報公開が行われることは稀なため、募金資金の使途などに疑問が残ることが多い。中には手術対象となる子供がそもそも存在しない死ぬ死ぬ詐欺の存在も判明しており、善意の募金活動が色眼鏡で見られることも多くなってきた。少なくとも筆者は街中でやっているどこのものとも知れない団体に募金をする気はさらさら起きない。
そんななかでほのかちゃんを救う会の打ち出した方針が物議を醸している。
穂香ちゃんの心臓移植に対し、福本夫妻が私財を削り、それでも足りない費用を募金で集めるのではなく、あくまで福本夫妻が私財を削らず今の生活を維持したまま、ドイツへ渡り心臓移植を行い、ほのかちゃんのリハビリを経て、日本に帰国した際に以前と同じ生活ができる。これに対しての支援を目的としています。
http://www6.ocn.ne.jp/~s-honoka/sukuukai.htm
J-CASTニュースによれば、ネット上では「私財削って借金してでも治療させるのが普通の親ではないか」などという批判が出ているそうで、救う会の方針がかなりバッシングされている。
ネットでは「私財を削らず」という部分が相当な反響を呼んで、
「全額負担してくれとはもはや支援でもなんでもない」
「厚顔無恥とはこのことだな。いくら子供が病気で手術の費用がかかるからって自分の金を使おうとせず人の財布をあてにするなんてよ」
「う・・・この姿勢はよろしくない・・・袋叩きにあるぞ・・・」など、この募金を題材にしたブログのコメントや、「2ちゃんねる」などのカキコミでバッシングが起きている。
「私財を出さない」募金で心臓移植 「救う会」の方針が物議かもす : J-CASTニュース
批判したくなる気持ちも分からなくはないが、筆者にとっては、この救う会の方針は正直で好ましく感じた。子供を救うためには手術をすれば万事解決ではなく、その後のケアにも多額の費用がかかるのは明らかだ。私財をなげうって手術を行ったとしても、その後に資金ショートを起こし満足な治療が受けられなければ、手術自体が無駄になる可能性もある。
そのため、両親が手術後にかかる費用も何とか工面したいと思うのは当然であるし、それを正直に救う会の方針として明記した姿勢は不器用だが好ましい。J-CASTニュースによれば、そもそも一家には削るだけの私財が無く、ほのかちゃん救う会は、穂香ちゃんの父親の大学の同級生や幼なじみを中心として発足していて、一家の経済状況を理解していたため、あまり考えずに書いてしまったという。詐欺師ならばもう少し上手くやるだろうが、人の信頼関係の上に成り立った、善意の活動だからこそ生まれた不注意だともいえる。
8,800万円もの費用は普通の人に出せるものではない。中には手術が受けたくても受けられなくて死んでいく子供も大勢いるだろう。そうした子供達が誰にも知られることなくひっそりと死んでいく中で、多額の資金を投入してたった1人の子供を救うのだ。率直に言えば、かなり無理を言っている不自然な状況であり、それだけのことをやるからには、その正当性をきちんと説明できなければならない。
そもそも社会としての観点から言えば、重い障害を負った子供は切り捨てた方が社会全体としての投資コストが下がる。この考えに立ったのが優生学であり、ナチス政権下において多くの障害者が粛正された。最近では出生前診断により、子供が生まれる前にいくつかの重篤な障害の有無が判別できるようになってきており、障害が発見された場合には、中絶を選択する親も多い。こうした予防的中絶や、遺伝子組み替えによるデザイナーベビーは、優生学の観点に則った行為であり、社会がそれを許容しているのが現実である。社会は弱者を切り捨てることで、トータルコストを削減しているのだ。
その社会にあって、弱者に多額のコストを掛ける。だからこそ、救う会には公明正大であってほしいし、善意を基盤とした活動が成立すると言うことを示し、弱者を救いたいと考える多くの人々の受け皿となり得ることを自らの手で証明しなければならない。その覚悟と強い意志をもつ強いリーダーの出現に期待したい。