2001年9月11日、ワールドトレードセンタービルの102分間
2001年9月11日、ワールドトレードセンタービルが崩壊した映像はテレビで繰り返し放送され、人々の記憶に深く刻まれている。この史上最悪のテロによりニューヨークでは2,749人が亡くなっている。
ビルが崩壊するシーンの強烈なインパクトのせいもあって、我々は飛行機の衝突後まもなくビルが崩壊し、中にいた人の大半が犠牲になったと考えがちだが、実際には最初の飛行機が衝突してから崩壊するまで102分間にわたる猶予があり、最初の衝突時にビル内にいた1万4,000人以上の人の多くが自力で、あるいは、献身的な他の人の助けを借りて建物の崩壊以前に避難を終えることができた。
『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』は200回以上に上る生存者やその家族・知人へのインタビュー、警察や消防の更新記録、電話の会話の記録等に基づいて、あのとき、あの建物の中で何が起きていたのかを明らかにしている。数多くの証言を積み上げることによって、2001年9月11日のワールドトレードセンタービルの102分間が迫真のリアリティを持って再現されている。ハードカバーで1,890円の本書だが、その値段に十二分に見合う充実した時間をもたらしてくれること請け合いだ。まさに必読と言える本であり、未読の方には強く強く一読を勧めたい。
本エントリでは『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』からの引用を交え、本書が明らかにした1万4,000人に及ぶ男女の102分間の死闘の一端を紹介する*1。
北タワーが最初の攻撃を受けたのは午前8時46分31秒、南タワーに対する午前9時2分59秒の攻撃の16分28秒前だった。この時間差により南タワーでは2機目が突入する前に避難を開始する幾許かの猶予が生まれた。しかし、後から攻撃された南タワーの方が先に、午前9時58分59秒に崩壊した。10時28分25秒に崩壊した北タワーよりも29分26秒早かった。南タワーが崩壊した時点で北タワーが崩壊することは明らかにだったにも関わらず、殉職した消防士の中にかなりの数で、建物が崩壊の危機に瀕していることを知らずに、比較的低層のフロアで休息を取っていた人がいた。危機管理において情報伝達がいかに重要か、改めて痛感させられる事実だ。
犠牲となった2,749人の内、147名は2機の旅客機の乗客である。600名弱が両機が突入したフロアにいて即死したと見られる。412名は現場に駆けつけた救助隊員である。残りの1,500人以上は飛行機の突入後も生存していたのに、建物の崩壊前に避難できなかったために死亡した。北タワーでは102分、南タワーでは57分、何千人も人々が避難する時間的猶予があった。何が彼らが生き延びることを妨げたのか、証言から浮かび上がってきたのは、もどかしくなるような、情報伝達の混乱、建物の構造的欠陥、避難計画の不備である。建築士や防災関係者などには是非このテロがもたらした教訓を学んで欲しい。
以降、出現する人名で当日死亡した人は赤字で、生き残った人は青字で示す。
午前8時46分 北タワーに1機目衝突(102/102分)
アメリカン航空11便の航空機は北タワーに時速720kmで突入し、7つのフロアを切り裂いた。航空機の莫大な運動エネルギーは瞬時にゼロになり、気化・炎上した燃料がフロアを焼き尽くし、北タワー全体を揺るがした。35km離れたコロンビア大学ラモント・ドハティ地質研究所が12秒間に渡る振動を記録し、直撃を受けた93階から100階のフロアを使っていたマーシュ・アンド・マクレナンの従業員だった男性の遺体が、後にタワーから5ブロック離れた場所で発見されたほどだった。航空機の乗員乗客とフロア内にいた数百人の命が一瞬にして奪われた瞬間である。
衝突した航空機は、建物の中央部に集中していた3つの非常階段に重大な損害を与えた。1968年の改正前の旧建築基準法では、非常階段は"建物あるいは敷地の相対する両側に"設置されることが求められていたのに、建築業界の強力な後押しで成立した1968年の改正では、"無理のない限り"という条件が加えられ、結果としてワールドトレードセンターでは3つある非常階段は建物を貫く一本の軸にぎっしり詰め込まれることとなった*2。アメリカン航空11便はこの中心線を貫いたのである。衝突後も無傷で生きていた北タワー上層階にいた何百人もの人の命運がここで尽きた。彼らは外に脱出しようと必死に何十階も下りてきて、完全にふさがった非常階段を前に絶望することになる。
さらに言えば、1968年の建築基準法の改正では、ワールドトレードセンターの規模の建築物に求められる非常階段の数は6から3に減らされていた。110階建てのビルに6階建てのビルと同じだけの非常階段しか無かったのである。また、階段の周囲の壁が火に耐えなければならない時間は3時間以上から2時間以上に短縮され、建築材料も遙かに脆弱なもので良いとされた。高層ビルの柱は4時間、床は3時間以上炎に耐えられなければいけなかったが、それがそれぞれ3時間、2時間に引き下げられていた。古い基準では耐火壁に関して特定の石材の使用と工法を要求していたが、新たな基準では耐火性がありさえすればよいとされた。
経済的合理性を求めたこれらの建築基準法の改悪が、ワールドトレードセンターの犠牲者数を引き上げたことは間違いない。
午前8時47分〜 衝突直後・南タワー(101-/102分)
南タワーの上層階からは北タワーに旅客機が衝突し、逃げ場を求めて人が次々と飛び降りる光景が見えた。しかし、低層階に位置した防火デスクからは何が起こったか分からなかった。どうも北タワーで爆発が生じたらしいと判断した、南タワーの防火副主任のフィル・ヘイズは南タワーに対して避難指示をするべきか迷い、その結果、消防から別途指示があるまで様子を見ることを選択した。その結果、南タワーの人々は自らばらばらに行動決定をすることになった。
南タワーの88階と89階には小さな投資会社であるKBWが入っていた。88階の投資部門と調査部門の社員たちは即座にほぼ全員が避難を開始したが、トレーディングルームのある89階では判断が分かれていた。ディーラーたちはリアルタイムで動く市場を相手に一分一秒を惜しんで仕事をしており、避難すべきかどうか迷ったのだ。席に戻るようにとの指示が出て、残って仕事を続けることを選択したKBW社員の一人ブラッドリー・フェチェットは母親への留守番電話に次のメッセージを残している。
「もしもし、ママ、ブラッドだけど、知らせておきたいことがあって電話したんだ。もう聞いてるだろうけど……いや、まだかな、とにかくワールドトレンドセンターの第一棟に飛行機がぶつかったんだ。ぼくたちは無事だよ。うちのオフィスは第二棟だから。ぼくもこうして生きてるし、元気。だけど、分かると思うけど……すごく恐ろしいよ。見てたら、91階の窓から男が飛び降りて……ああ……ずっと下まで……それで」──彼は間を置き、咳払いした──「いつでもここに電話してよ。僕たちは今日はずっとここにいることになると思う。会社が休みになるかどうかは分からないけれど。でも……えーと……とにかくこっちに電話してよ。パパにはもう電話して知らせた。愛してるよ、ママ」
衝突直後にCNNが速報を流し、北タワーに飛行機が衝突した映像を繰り返し流した。ニュースによれば被害が北タワーに限定されているらしい。南タワーで避難を開始していたユーロ・ブローカーズ(南タワー84階)の社員の多くは、このニュースを見て避難する必要は無いと考えてしまった。隣のビルに飛行機が衝突し、人が次々と落ちていっているのに、彼らは仕事を続けることを選択したのだ。
一方、南タワーの78階から83階までに入居していたみずほ銀行および富士銀行では、衝突直後に全社員に対して避難命令が出された。これらの日本企業では、危機に対して何よりもまず従業員の生命を優先することが徹底されており、全ての仕事を中断して避難が開始された。
午前8時48分〜 衝突直後・北タワー(100-/102分)
攻撃を受けた北タワーでは避難が始まっていた。直撃を受けた93階の2階下の91階では一人残らず脱出したが、92階にいた70人は飛行機の直撃から生き延びたにも関わらず誰一人脱出できなかった。その間をつなぐ全ての非常階段が通行不能になっていたからだ。
92階の通行不能の非常階段の上にはカーフューチャーズ(南タワー92階)のデイミアン・ミーハンがいた。彼は消防士の兄に電話をしている。
「どうしようもない状態なんだ」デイミアンは言った。「エレベーターは壊れてしまったし」
「正面出口に言ってみろ。煙が来ていないか確かめるんだ」ユージンは言った。
弟が電話を置くと、周囲の物音がユージンに聞こえてきた。叫び声。大きな音。だがパニックを起こしているようすはない。少ししてデイミアンが電話口に戻ってきた。ああ、煙が来ているよ。
「非常階段を使え」ユージンは言った。「どちらから煙が来ているかを確かめて、それと反対方向に行くんだ」
いずれにせよ全ての非常階段は寸断されていた。彼らは生き延びようと冷静な行動をしたが、結局誰も助からなかった。彼らの運命は午前8時46分に既に決まっていたのである。
北タワー最上階のレストラン、ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド(北タワー106,107階)では、もう命運が尽きていることを知らない人々が、生き残ろうと必死の努力を続けていた。ウィンドウズ・オン・ザ・ワールドで開催されていた商談に出ていたガース・フィーニーはフロリダの母親に電話をしている。彼女はテレビで事件の第一報を見ているところだった。
「もしもし、元気?」息子からと分かると、彼女は言った。
「ママ、おしゃべりしたくて電話したんじゃないんだよ」彼は言った。「今ワールドトレードセンターにいるんだ。ここに飛行機がぶつかって」
「下の階にいるのね。お願い、そう言って」
「いや、上なんだ。最上階だよ」彼は答えた。「ひとつの部屋に70人集まっている。ドアを閉めて煙が入らないようにしているんだ」
突入の瞬間から10分間の間に911番の緊急電話には約3,000本の着信があり、その多くが北タワーの上層階からだった。ウィンドウズ・オン・ザ・ワールドの副支配人クリスティン・オレンダーからも、客と従業員をどちらに誘導したらよいか指示を求める電話が港湾公社警察のワールドトレードセンター管轄部に入っている。電話をとった巡査は、必ず助けに行くと約束したが、その約束が果たされることはなかった。
午前8時50分〜 消防起動・北タワー(98-/102分)
消防の初動はこの上なく早かった。たまたま飛行機がワールドトレードセンターに突入する様子を目撃したジョゼフ・ファイファー大隊長は指令車に飛び乗り、第一出動と第二出動を発令、それを受けて19台の消防車が現場に派遣された。彼の最初の連絡が司令部に入ったのは午前8時46分43秒、突入のわずか12秒後だった。
それでは十分でないと判断したファイファーは突入から90秒後には第三出動を発令している。
第一消防大隊よりマンハッタン署へ
複数のフロアが炎上している。飛行機は意図的に建物に突っ込んだようだ。全署に第三出動を発令せよ。集合地点はヴィージー通りとウェスト通りの交差点。第三出動で出動したチームが現場に到着し次第、第二出動のチームは建物内に入れ。
ファイファーは午前8時50分には現場に到着、指揮に当たった。第三出動の発令を受けて、全部で225以上の消防隊が現場に駆けつけた。これはこの日に出動待機していた全ての消防隊の半数に相当する数だった。どの消防車にも非番のはずの消防士がぎっしりと乗り込んでいた。混乱の中現場に駆けつけた消防士は1,000名を越えた。
その中にはファイファーの弟のケヴィン・ファイファー小隊長も含まれた。彼は、小隊のデイヴィッド・アース、マイクル・ボイル、ロバート・エヴァンズ、ロバート・キング・ジュニア、キースロイ・メイナードを率いて階段を昇っていった。
もし勇敢な消防士たちの能力が十全に発揮されていたとしたら、犠牲者の数はずっと少なく抑えられていただろう。しかし、多くの要因が彼らの仕事を阻害した。消防士たちが携帯していた15年もののトランシーバーは高層ビルでは電波が遮断して使い物にならなかった。そのため、指揮を執っていたファイファーの元には満足な情報が集まらなかった。どこで火災が起きているのか、どれぐらいのスピードで、どこに向かって広がっているのか、どこの非常階段が使えるのか、どこにどれだけ要救助者がいて、消防士たちは今どこにいるのか、最も情報が集まるべき彼の元にこうした情報はもたらされなかった。
警察官は高層ビルでも利用可能な無線機を携帯していたが、警察と消防は全くの没交渉で互いの連携は皆無だった。相互の連絡のための無線機は存在はしていたが、誰も使わなかった。警察はヘリコプターを有しており、ヘリコプターからは被害状況をつぶさに見ることができた。9時前の時点で次のような連絡が警察のヘリコプターからもたらされている。
「現状を報告する」操縦していたティモシー・ヘイズ刑事は言った。「今、目の前でビルから飛び降りている人がおおぜいいる。ビルの四面全部に亀裂が入っているようだ。炎が激しい」
上空からの報告は、ファイファー大隊長が最も必要としていた情報のひとつだったが、彼に伝えられることは無かった。結果として消防士たちは何の情報も与えられずに北タワーを昇っていったのである。これは最悪のタイミングで顕在化した警察と消防の長年の因縁による弊害だった。もし、ファイファー大隊長がヘリコプターからの情報を得て、警察の無線機を通して消防士たちとの相互連絡が取られていれば、多くの消防士は死なずにすんだだろう。
午前8時55分 南タワー全員退去命令 (93/102分)
みずほ銀行および富士銀行の社員は日頃の訓練の成果で誰よりも早くロビーに下りていった。彼らは北タワーに飛行機がぶつかってから10分も経たずに地上に降りていた。ところが、回転型ゲートで警備員に呼び止められた。
「どこに行くんですか?」
「北タワーから火の玉が飛び出したんだ」プレイムナスは答えた。
「いや、いや」警備員は言った。「こっちは大丈夫です。オフィスに戻っていいですよ。この建物は安全ですから」
警備員が断言するのを聞いて、みずほ・富士銀行のほとんどがオフィスに逆戻りしていった。彼らは一度安全な地上に降りてきたのに、また死地へと戻っていったのだ。みずほ・富士銀行の社員のスタンリー・プレイムナスも一度地上まで降りてまた81階のオフィスに戻った一人だった。
実際、この警備員を責めることはできない。高層ビル火災においては、炎上しているフロア以外のものはその場に待機していることが基本的なセオリーである。火災は建物のスプリンクラーや防火壁などの防火設備により当該フロアにのみ封じ込められるため、それ以外のフロアに影響が及ぶことは無いと信じられていた。非常階段に関しても、一度にビル全体の人間が避難することは想定外で、せいぜい2,3フロアの人員が避難するだけのスペースしか与えられていなかった。多くのフロアから各自の判断で人々が逃げようとするとパニックが発生するおそれがあり、火災と関係がないフロアの人間は極力その場に待機させるようにすることは、原則通りの行動だったのだ。
緊急通報を受けた港湾公社警察でも対応がわかれ、ある警官は南タワーの人に対し、その場に留まるように指示し、またある警官は即座に避難するように促した。先日のエントリで紹介したリック・レスコーラが勤務するモルガン・スタンレーの保安課の問い合わせに対し、電話を受けたマゲット巡査は迅速な避難を指示した。結果的にこの指示が南タワーの22フロアを占拠していたモルガンスタンレーの2,700人の従業員の生命を救ったと言える。
南タワーにおいては8時55分頃、防火副主任のフィル・ヘイズによって、南タワーは安全であり、避難の必要がないこと、避難中の人は再入構用ドアからエレベータでオフィスに戻るように指示するアナウンスが流れている。フィル・ヘイズのいた南タワー一階の防火デスクからは北タワーの火災も、ぱっくり開いた大きな亀裂も見えなかった。北タワーの窓枠によじ登り、そこから飛び降りる人たちも見えなかった。フィル・ヘイズは、空から色んな物が落ちてくる危険な場所に人々が出て行かないように誘導することに注力していたのである。
この状況下において、ある人はアナウンスに従いオフィスに戻ることを選択し、ある人は避難することを選択した。それが生死を分ける重要な判断になることに誰も気付いていなかった。みずほ・富士銀行のスティーブン・ミラーは上りのエレベータに一旦乗ったものの、オフィスに戻ることが正しい行動とは思えなくてエレベータから飛び降りた。彼の上司のケイジ・タカハシと3人の上司はオフィスに上がっていった。
午前8時59分、公安公社警察のアル・デヴォナ巡査部長は第一棟および第二棟からできるだけ速やかに全員の退去を命じた。ほぼ同時にワールドトレードセンターの責任者である港湾公社警察のアンソニー・ホイッティカー警部が公式に退去命令を発令している。また、消防のファイファー大隊長も同時刻に全員退去を命じている。ただし、これらの命令がどれだけ入居者に伝わったかどうかは不明だ。
午前9時1分〜 北タワー 避難を妨げるドア (87-/102分)
北タワーの92階より上では非常階段は完全にふさがっていた。崩れた壁が折り重なって通行不能で、これが生死を分ける境界線となった。92階と93階のほとんどの人は飛行機の衝突そのものでは傷つくことは無かったが、どうしても脱出することができなかった。
80階から92階にかけてのフロアでは何十人もの人が、ドアを開けることができなかったり、燃えさかる通路を通り抜けられず、非常階段まで行けずに立ち往生していた。彼らの避難路を確保して回ったのが、ワールドトレードセンター建築主任のフランク・ディマティーニとパブロ・オーティズ、そして彼らの同僚だった。ディマティーニは懐中電灯とトランシーバー、オーティズにバールを持って取り残された人々を次々と避難階段へ誘導していった。
たとえば89階では十数人の人が取り残されていた。3つある非常階段の内、2つはほとんど通行不能で、フロア自体が溶けて崩れ落ちそうだった。残りの一つの非常階段のドアは戸枠にがっちりと食い込んで動かなかった。男たちが数人で力をあわせて体当たりをしてもびくともしなかった。煙が立ちこめ、火の手が広がるに至って、人々は観念して家族に電話をかけ始めた。リック・ブライアン弁護士は父親に電話をかけ、ダイアン・デフォンテスはボーイフレンドに電話をかけたがでなかったため、女友達に電話をして彼女と彼女の子供が大好きだったと伝えた。
そのとき、「ドアから離れろ」という声が聞こえ、バールの先がドア枠の周囲の石膏ボードから突きだした。反対側からオーティズがドアを押し開けたのだ。オーティズはさらにフロア内に閉じこめられていた人々を救い出し、非常階段に誘導した後、ディマティーニと共にさらに上の階に上っていった。
88階にいたフランク・ディマティーニやパブロ・オーティズをはじめとする人々にとって、各階の非常階段のドアを開けて回ることは義務でも仕事でもなかった。彼らは何よりも自分の命を優先し、建物から避難することができたはずだった(そうしていれば彼らは今でも存命だっただろう)。しかし、彼らが開かないドアや通路をふさぐ瓦礫を取り除き、人々を避難通路に誘導したからこそ、助かった人々がいたのは確かである。
午前9時2分 南タワー 2機目激突 (86/102分)
南タワーでは指示が二転三転し、9時2分には事情が許すなら、慌てずに順に避難をするよう促す構内放送が記録されている。エレベータの乗り換えが発生する78階のスカイロビーでは、職場に戻ろうとする人と、避難しようとする人が交錯しごった返していた。これらの人々は今までに都合3回構内放送を聞いていた。最初の2回はその場に留まるように言い、最後の1回は避難しても良いと言った。一体どうすべきなのだろうか。
フィデュシアリー・トラスト(南タワー97階)のドノヴァン・コーワンとドリス・トレスも、安全というアナウンスを聞いてエレベータで職場に戻ろうとしていた。エーオン(南タワー100-103階)の弁護士ケリー・レイハーは100階から階段で78階より下まで下りてきていたが、構内放送を聞いて周囲の10名ほどと一緒にエレベータでオフィスに戻ろうと78階のスカイロビーまで戻ってきていた。エーオンのジュディ・ウェインとジジ・シンガーは持ち物をとりに103階まで戻ろうかと相談しているところで、同僚のハワード・ケスティが持ち物は置いておいてとにかく早く脱出しようと主張していた。同じくエーオンのカレン・ハガティも上りのエレベータに乗ろうとしたが、我先にと職場に帰る人で満員となって、エレベータから押し出されてしまって、同僚のエド・ニコルズと共に次のエレベータを待っていた。
一旦、地上まで降りたみずほ・富士銀行のスタンリー・プレイムナスは9時2分には、81階の自分のオフィスに戻ってきていた。部屋に戻ると彼の安否を確かめる電話がシカゴにいる女性の同僚からかかってきていた。
「大丈夫?」彼女は尋ねた。
「ああ、大丈夫だよ」プレイムナスは答えた。
「スタン、テレビは見ているの? 何が起きているのか、ニュースで確認してる?」彼女は言った。
「うん」彼は言った。「ぼくは大丈夫だから」
話しながら、プレイムナスは椅子をまわして窓のほうを向いた。だが窓の外を注意して見たわけではなかった。南向きの窓からはニューヨーク港と自由の女神が望めた。行き交う船やタグボート、フェリーの軌跡が何本も灰色の海面を横切っていた。水平線上に見慣れないものがあるのを、彼は視界の隅でとらえた。身体の向きを少し変えて、それをまっすぐに見た。飛行機だった。彼のオフィスに、彼の目の前の窓に、まっすぐに向かってくるようだった。ぐんぐん近づいてくる機体の赤と青の塗装とUという文字が見てとれた。悲鳴をあげて彼はデスクの下に飛びこんだ。シカゴの同僚は電話越しにその声を聞きながらテレビの画面を見て恐怖にかられた。
せいぜいゆっくりと一回息を吸うぐらいの時間の間に、天井がすっかり崩れ落ちた。時刻は午前9時2分59秒だった。ユナイテッド航空175便がワールドトレードセンターの南タワーに突入した。旅客機は最後の瞬間にわずかに機体を傾け、主翼は78階から85階までのフロアを斜めに貫いた。<みずほ・富士銀行>のオフィスは突入地点の中央にあった。プレイムナスのオフィスは粉微塵になった。ワイヤーや部屋の仕切りや石膏ボードの壁が崩れて山となり、一瞬不気味な沈黙があった。ジェット機の壁がプレイムナスから6メートルのところでドアに食い込んでいた。彼はまだ生きていて、デスクの下で身を縮めていた。
旅客機は時速870kmで南タワーに衝突し、78階から85階までを切り裂いた。78階のスカイロビーには乗り換えのエレベータを待つ多くの人が集結していたため、一瞬前まで息をし、考え、話をしていた多くの人々が即座に絶命し、フロアはものを言わぬ死体で一杯になった。エレベータのボタンに手を当てていたドノヴァン・コーワンと同僚のドリス・トレスは床に投げ出された。
ジュディ・ウェインとジジ・シンガーは重傷を負ったものの生きていたが、脱出を主張していたハワード・ケスティは身動きしなかった。ケリー・レイハーは衝撃でエレベータに飛び込む形となったが、エレベータからはい出てみるとそこは死体で埋め尽くされた死の世界に変わり果てていた。エド・ニコルズは右腕を肩のところから切断する重傷を負ったものの生きていたが、今まで一緒にいたカレン・ハガティは床に倒れたまま動かなかった。
飛行機の直撃を生き延びたスタンリー・プレイムナスは、フロアの橋まで残骸の上を這って進んでいったが、同じフロアにいたはずの人の姿も声も聞こえなかった。真っ暗闇の中で助けを呼んだプレイムナスを瓦礫の中から助け出したのは、84階から下りてきたブライアン・クラークだった。
ブレイムナスはまだ瓦礫の山の向こう側にいた。
「飛び上がれ」クラークは言った。「それしかない。飛び越してくるんだ」
一回目は手が届かなかった。もう一度やってみた。今度はクラークが彼の手をつかみ、瓦礫のこちら側に引っ張った。ふたりは抱き合うような形で床に落ちた。
「ブライアンだ」クラークは言った。
「どうも。ぼくはスタンリー」プレイムナスは言った。
ふたりは非常階段まで行き、くだりはじめた。
午前9時4分 南タワーで唯一残った非常階段 (84/102分)
北タワーでは3つの非常階段全てが寸断されていたが、南タワーではたまたま衝突フロアにエレベータ用の機械が設置されていたため、非常階段が迂回して設置されていた。3本の非常階段の内、非常階段BおよびCは衝突により通行不能になっていたが、幸運にも非常階段Aは瓦礫に埋もれながらも何とか通行可能な状態で残された。76階において男たちが数人がかりで大きな破片を排除し、少なくとも幸運な18人(前述の生存者を含む)が非常階段Aを通って避難できた。
南タワーの78階ないしはそれより上のフロアにいた人にとって、この非常階段Aは唯一の脱出路となった。ただし、問題があった。非常階段Aが迂回しているためわかりにくいところにあり破壊し尽くされたフロアを横断する必要があったこと、さらには暗闇で煙が立ちこめていて、通れるかどうかが一見分かりにくい状態であったことである。そのため、人々が自力でA階段を見つけ出すのは、よっぽどの幸運に恵まれないと無理だった。
午前9時5分 無力なヘリコプター (83/102分)
北タワー及び南タワーで上層階に取り残された人々は、当然の帰結として屋上を目指した。北タワーでは全ての非常階段が破壊され、南タワーでは一カ所だけ通れる階段があったのだが、その存在は彼らに伝わらなかった。飛行機が衝突してまもなく下層階から上がってくる煙の濃度は耐えられないほど上昇し、高層階に取り残された人々は追い立てられるように上に上がっていった。そして何十階も階段を上がり、屋上の一歩手前で疲弊した彼らの前に立ち塞がったのは、施錠されたドアだった。
港湾公社が策定した避難計画には屋上からの救出は織り込まれていなかった。高層ビルからの避難において上に進む人と下に進む人が交錯すると混乱が生じるという点と、ヘリコプターに登場できる人数が極めて限られる上、いざという時に使えるかどうか分からないヘリコプターに依存することは好ましくないという点による判断だった。全ての非常階段が使えなくなる事態など全くの想定外だった。そのため屋上に出る通路は常に施錠されており、この致命的な状況に至っても開放されなかった。保安係が全てのドアとゲートを開放することを試みたのだが、ソフトが誤作動を起こしドアの開放が行えなかったのだ。
一方、警察の飛行隊は消防からの要請があるものだと考えていたが、消防からは何の要請も無かった。結局、飛行隊は自分たちの判断で飛び立った。近くのヘリコプター発着場には、警察の高層ビル専門チームが屋上にロープ伝いに飛び降りるために待機していた。だが、警察本部長のジョゼフ・エスポシトは、煙と熱がひどすぎるため、ヘリコプターの屋上へのアプローチを認めなかった。飛行隊のパイロットは眼前で繰り広げられる惨状を前に、何一つ助けの手をさしのべることができなかった。
北タワーから人が飛び降りているのが最初に目撃されたのは8時48分か49分、アメリカン航空機の突入の2,3分後だった。ジェット燃料が燃えさかる焦熱地獄にいた人たちだった。最初の頃は意図的に飛び降りるというより、むしろ反射的なものだった。熱いストーブに触れた手が、さっと引っこめられるようなものだ。熱から逃れるのに、彼らは炎を突っ切っていく必要はなかった。反対側の壁がすっかりなくなっていたのだ。ひとりで、あるいはふたりで手をつないで、彼らは窓枠を乗り越えて外に出た。そこだけが熱と煙から逃れる場所だったのだ。
男が、女が、男女が一緒に。
このあと、北タワーの上層階にいた人たちは部屋に戻ってドアの隙間をふさいだ。だが煙の勢いは容赦なく、かれらはまた窓際に追いつめられた。だがその窓は開かなかった。煙と炎が迫ってくる中、多くの人が911番に電話をかけ、窓柄ガラスを割っていいかと尋ねた。いけませんと、電話受付係は答えた。もっとひどい状態になりますと。しばらくすると、また電話をかけてきて、もうすでにひどい状態になっているのだと訴えた。部屋の向こう側では何人もがガラスを割っていると、彼らは言った。そしてそこから飛び降りていると。
人々は新鮮な空気を求めて、ガラスが割られて解放された窓際に詰め寄った。どの窓にも人々が折り重なって、地上400メートルで上半身を外に突きだしていた。女性が落ちないように支えている男性の姿が見えた。観念するかのように虚空を見つめる男性の姿が見えた。人々はどんな思いで窓際に身を寄せ、そして飛び降りていったのだろうか。
いまや、北タワーから人が次々に落ちたり飛び降りたりしていることは誰の目にも明らかで、建物の外のみならず建物内からも電話で連絡が寄せられた。一方、南タワーから転落した人はほんの僅かに限られた。北タワーと南タワーは同程度に煙と炎で包まれたが、南タワーは北タワーよりも17階下に飛行機が突っ込み、また避難が進んでいたので直撃を受けたフロアに残っていた人が少なかったのだ。
北タワーでは南の約3倍の数の人たちが半分ほどの大きさの空間内にいた。北タワーの101階から107階では、900人近くの人たちがキャンター・フィッツジェラルド(北タワー101,103-5階)のオフィスやその上のレストラン、ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド(北タワー106,107階)に閉じこめられていた。人々は窓を割るべきか議論し、しばらくは自制したが、やがてなし崩し的に窓が割られ、人々が外に飛び出していった。そして炎は酸素の供給を受け、その勢いをますます増していった。
今では北タワーの北面に沿って炎が這いのぼり、直撃を受けたフロアの上に広がっていた。壁のないオープンなスペースが多かったので、火は内装を燃やしつくしては──各フロアが20分ほどで燃えつきた──さらに燃料を求めて上の階に進んでいった。ガラスを割った窓にしがみついている人たちを、渦巻く煙が包んだ。
104階の北西の隅にある<キャンター・フィッツジェラルド>の会議室では、アンドルー・ローゼンブラムたち50人が、通風口に上着を詰めこむことで、一時的に煙と熱気の侵入を防いでいた。「コンピューターをぶつけて窓ガラスを割って、外の空気を入れたよ」ローゼンブラムは、同じ会社の社員だがこのときはオフィスにいなかったバリー・コーンブラムに携帯電話で報告した。
ローゼンブラムは妻のジルにも電話して、落ち着いた声で状況を説明した。窓の外を人が落ちていくことは彼は言わなかったが、話のとちゅうでいきなり、何の説明もなしに叫んだ。
「ああ、神様」
ヘリコプターのパイロットからは、窓際に重なり合っている人が見えた。地上400メートルで窓枠にぶら下がっている人、窓枠に立っている人。彼らの様子は無線で逐一地上に報告された。仮に彼らが屋上に上がってきたら、パイロットは危険を冒して屋上に着陸するか、あるいは危険を避けて彼らを見殺しにするか難しい判断を迫られただろうが、結局彼らは誰一人屋上に上がることはできなかったので、パイロットには見殺しにする選択肢しか残っていなかった。
北タワーの103階では施錠されたドアを前に立ち往生した男性が無線で怒りを爆発させていた。「このくそったれドアを開けろって言うんだ!」
南タワーではショーン・ルーニーがびくともしないドアを前に、妻のベバリーに電話をしていた。ベバリーは別の電話で911番にかけたが、911番は救助が向かっているのでそこに留まるよう回答するだけだった。南タワーで無事に残っていたA階段は911番では把握されていなかったのである。南タワーのコントロールルームでは、A階段の存在を知っており、それを上層階に残っていた窓清掃員のロコ・カマジにトランシーバー伝えていたが、その情報は上の階には伝わらなかった。彼らは、下に逃げれば逃げられることを、通れる階段があることを知らずにいた。彼らのほとんどがコントロールルームではなく、911番に電話した。そしてこちらではこの避難路のことはまったく知らなかった。
南タワーの最上階までのぼっていったものの、また下りてきた人はほかにもおおぜいいたが、煙と炎に包まれているフロアを通って下に行ける階段を知っていたからではなかった。彼らはそれぞれが最後の抵抗を試みるのにふさわしい場所を探していたのだ。フランク・ドイルら<KBW>のディーラー数人は、やっとの思いで88階の階段に戻った。まだ使える電話があったので、ドイルは妻のキミーにかけた。
「もしもし、ぼくだけど」彼は言った。「きみに助けてほしいんだ。屋上に出ようとしたんだけど、ドアに鍵がかかっていてね」
そこにはドイルの同僚が十人以上いて、リック・ソープとスティーブン・マルデリーもいっしょだった。マルデリーは南タワーが攻撃を受ける直前に兄のピーターに電話をしていた。使える電話は一台だけで、ひとりずつ交代でどうしても言っておきたいことを伝える電話をかけていた。マルデリーはもう一度兄にかけた。
「やあ、兄さん」
「おお、おまえか。大丈夫か?」ピーターは言った。
「それが、あまり大丈夫じゃないんだ」
避難しようとしたが、上に行っても下に行ってもダメだったと、彼は説明した。スティーヴンは母親の家の電話番号を尋ねた。兄弟の母親は少し前に引っ越したところで、彼はまだ新しい番号を覚えていなかった。そして兄に愛しているよと言った。
「どうしてもそこから出られないのか?」ピーターは尋ねた。
「ああ。言っただろう、できることは全部やったんだよ」スティーヴンは答えた。「あとは消防士が助けに来てくれるのを待つしかないよ。でも、それにはすごく時間がかかるだろうし、ここは煙がひどいんだ。消化器で窓ガラスを割ろうといっている人もいるんだけど、それをやったらおしまいだよ。誰かがパニックを起こして割ろうとしても、止められないだろうけど」
2,3分後、今度はリック・ソープの番になり、彼は妻のリンダに電話した。彼女は隣の家にいた。しばらく前、二機目が建物に突入したあとに、ふたりは相談して、リンダは生後間もない息子のアレクシスを連れて隣の家に行くことにしたのだった。状況がはっきりしたらまた電話すると、リックは言った。だが電話がつながっても、なぜかリックは声が出なかった。
「もしもし──リック──リック」リンダは受話器に向かって言った。
答えはなかった。しかしリンダと彼女の隣人の耳には会議室の物音が聞こえた。煙の中で関をしていた。部屋の反対側が見えないほどの煙らしかった。
「消火器はどこだ?」誰かの声がした。
「窓を割るのに使ってしまったよ」そう答えるのが聞こえた。
「気を失っている者がいるか?」また別の声がした。
その答えはリンダたちには聞こえなかった。
落ち着いた声で話している人もいれば、こわばった、ふるえを帯びた声の人もいた。ひとりが叫びだし、言葉にならない苦悶の声をあげた。だれかがなだめようとしていた。
「だいじょうぶだよ」やさしい声でその人は言っていた。「だいじょうぶだから」
午前9時15分 北タワー ディマティーニによる警告 (73/102分)
ワールドトレードセンターの建築主任であるフランク・ディマティーニはパブロ・オーティズたち2,3人とバールと強力な懐中電灯を使って、取り残された人々を次々と救出していった。彼らの本来の職務は改装工事の監督であり、二人ともこの建物を知り尽くしており、その機能を十分に理解していた。9時15分頃、ディマティーニは78階のスカイロビーからトランシーバーで地上に呼びかけを行い、港湾会社の建築監査官ゲリー・ドローハンがその通信を受けた。
「地上にいる建築監査官、誰でもいいから応答してくれ」
ドローハンは、自分は下にいると返事をした。
「構造監査官を2,3人、78階まで送り届けられるか?」ディマティーニは尋ねた。
スカイロビーの壁の石膏ボードが一部剥がれ落ち、エレベータシャフトがむき出しになっていて、建物の中心部が見えていた。そこでディマティーニはエレベータが落下する可能性があると警告をしてきた。そこで、建築工学の専門家に78階に上がってみて欲しいと依頼したのだ。建物が封鎖されているため向かうことはできないと告げると、ディマティーニは15分後、消防士に警告するため二度目の連絡をした。
ディマティーニ──建築主任から地上要員へ。直行エレベータは崩壊寸前の状態だ。わかったか?
男性──[聞き取れず]
ディマティーニ──このことを消防隊員に伝えてくれ、クリス。エレベータが──
男性──直行エレベータが壊れそう?……それで……どのエレベータ?……直行エレベータは全部か? どのエレベータか?[中略]
男性──[聞き取れず]
建物内では多くの人が衝突で停止したエレベータ内に閉じこめられていた。2つのタワーのエレベータシャフトの総延長は24kmにも及び、出口のない途中階で止まったエレベータを見つけ出し、人々をそこから救出するのは至難の業だ。そして、もう一つ人々がエレベータから脱出するのを困難にしたのはエレベータの安全装置だった。
エレベータは非常時には自動的に一番下の階に降り、ドアを開けるようになっていた。しかしほとんどのケースで一番下まで降りたもののドアが開かなかったり、途中で止まったりしていた。
そして最も厄介な存在となったのがドアロックだった。定位置から10cm以上離れたところに止まるとドアが開かないようにする安全装置だ。これにより多くの人がエレベータの中に閉じこめられることとなった。
78階ではディマティーニの監査チームの一員のトニー・サヴァスが停止したエレベータに閉じこめられていた。ロックされたドアをフランク・ディマティーニやパブロ・オーティズ、ピート・ネグロンと推測される男たちががこじ開け、シルヴァースタイン不動産のジョン・グリフィンがロックを外して助け出した。
71階では港湾公社建築チームのボブ・アイゼンスタットとフランク・ブカレッティがエレベータに閉じこめられていた。外には人が集まっていて、10人ほどの男が力をあわせてドアを開けようとしたが、ロックのためドアは5,6cmしか開かなかった。試行錯誤した後、誰か分かっていない人物が持ってきたワイヤーカッターによりドアロックが外されて、2人はエレベータから救出されたが、ひとつのエレベータを開けるのに30分近くかかった。ここには他に197台のエレベータがあった。
9時38分頃、港湾公社のピート・ネグロンは同僚のカーロス・ダコスタから、87階で2,3人がエレベータに閉じこめられているという無線連絡を受け、彼を手伝うために87階に向かった。おそらく、フランク・ディマティーニやパブロ・オーティズも共にいたと思われる。9時49分、78階スカイロビーで人々の避難を誘導していた警備員のグレッグ・トラップが、指示に従って避難を始めたときも、彼らは救助活動を続けていた。
2001年9月11日の朝、この4人の男たちはバールで壁を破り、懐中電灯の光で人々を誘導し、90階、89階、88階、86階、78階で、エレベータのドアをこじ開けて、少なくとも70人の命を救った。彼らは北タワーが崩壊するその瞬間まで、取り残された人々を助けようと奮闘していたに違いない。
午前9時20分〜 疲弊する消防士たち (68-/102分)
両タワーから何千人もの人々が長い列を作って一斉に避難をするなど、避難計画にはまったく織り込まれていなかった。誰もそんな訓練などしたことがなかったし、誘導手順もまったく考慮されていなかったが、警備員と港湾会社職員、そして警察官の尽力によって、この日の避難は円滑に行われた。全体的に見て人々が冷静な行動を心がけたことは、ワールドトレードセンターの惨状を照らし合わして考えれば、奇跡のようだった。
結果として、一時間足らずの間に数千人が──その中には防火訓練をただ何もせずにながめていた人たちもおおぜいいたが──無事に階段をくだってくることができた。そこまではよかった。今度は中二階からロビーにおりるエスカレータへと導かれた。そのためにはプラザに臨む窓の前を通らねばならず、窓の外の光景に多くの人が凍りついたようになった。階段には窓がなく、燃えさかる炎も見えなかった。不安は大きかったが、具体的な恐怖感ではなかった。今、人々が目にしたプラザの光景は、階段を下りる間にどれほど恐ろしい事態を想像していたとしても、それをはるかに越えるものだった。焦げた遺体の一部。靴。飛行機の破片。炎を上げる残骸。荷物。窓ガラスは血におおわれていた。赤い服があたりに散らばっているように見えたが、それは実は北タワーから飛び降りた人たちの最後の姿だった。避難しようとしている人々の間に衝撃が広がった。
この時間になると両タワーの航空機が突撃したフロアより下のフロアからはほぼ避難が完了していた。例外はどうしてもコンピュータの前を離れようとしない頑固な人たちだけだった。中層階はほぼ無人で、その中を何十キロもの装備を背負った消防士たちが上層階へ上っていった。彼らは屈強な男たちであり、日々身体を鍛えていたが、それでも19階ほどで限界が来るようで、北タワーの19階ではおおぜいの消防士が上着とヘルメットを脱いで廊下に横になっていた。途中階で休憩する多くの消防士がいたが、彼らは着実に上層階へ迫りつつあった。
午前9時22分〜 南タワー崩壊へ (66-/102分)
南タワーの上層階の状況はこの上なく悪くなっており、この頃には既に逃げることも助けることも不可能だという絶望感が人々を支配していた。
<KBW>の若いふたりの社員、ブラッド・ヴァダスとスティーヴン・マルデリーが南タワー88階のオフィスから電話をかけていた。9時19分に、ヴァダスは婚約者のクリス・マクファーレンの留守番電話にメッセージを入れている。「クリス、こちらの建物でも爆発があった。ぼくたちは部屋に閉じこめられている。煙が入ってきていて、これからどうなるか、わからない。ただ知って欲しいのは、きみという人がいたおかげで、ぼくの人生がどれほどすばらしく豊かなものになったということだよ」そして全力を尽くして脱出するからと言ったあとに付け加えた。「愛している」そして「さようなら」と。かつての大学バスケットボールの花形選手マルデリーは友人に電話した。その女性のテープには、何があろうと自分は大丈夫だからと吹き込まれていた。母親から教わったお祈りを全部唱えたからと。
指揮所でも取り残されている人々を全て救うことは不可能かもしれないという観念しつつあった。タワーは3時間ほどは炎に耐えるだろうが、そのタイムリミットの間に消防士が彼らを助けることは困難に思われた。しかし、この絶望的な状況において、最初に南タワーの階段をのぼっていった救助隊から思いがけない報告が届いた。
「こちら第七大隊。第二棟の40階にいる」オリオ・J・パーマーが報告してきた。「40階まで来られるエレベーターがあった。今それで第15はしご車隊の連中を上に運んでいる。以上」
この瞬間、救助隊員と救助を待つ人々の間の距離が、望みのないものから、不可能ではないものに変わった。
最後まで残っていたこの貨物用のエレベータの存在が、南タワーにおける救助活動を一気に本格化させた。南タワーでは消防士たちの持つ無線機のリピーターが上手く稼働しており、ほとんど通信不能だった北タワーとは異なり、相互に連絡ができたことも幸いした。
上層階からの救助を求める電話に対して、オペレータはまもなく救助隊が到着すると告げた。それは彼らの気を紛らわせる方便ではなく事実だった。実際に救助隊はすぐそこまで迫っていたのだ。
南タワーで旅客機の直撃を受けた78階のスカイロビーでは、ニューヨーク州課税局のメアリー・ジョスが友人のリン・ヤンと共にひどい火傷を負いながらも生きていた。側には負傷しているがまだ息があるひとが何人かいた。ひとりの女性は両脚を失っていて、ショック状態でドアに寄りかかっていた。同僚のダイアン・グラッドストーンは足首を骨折しており、イェシャヴァント・テンベは膝を砕かれたようだった。
飛行機がぶつかって20分ほど経った頃、ヤンとジョスは若い男に非常階段に誘導され、階段を下り始めた。足首を痛めたグラッドストーンには上司のダイアン・アーバンが付き添い、膝をやられたテンベには同僚のサンカラ・ヴァラムリが助けて彼らのあとに続いた。
南タワー78階で直撃を辛くも生き延びたジュディ・ウェインとジジ・シンガー、エド・ニコルズ、ヴィジェイ・パラムソシーは傷ついていたが、自力で歩ける状態だった。しかし、リッチ・ゲイブリエルは落ちてきた大理石の下敷きになって動けない状態だった。
しばらくして、バンダナをした若い男性が彼らに非常階段への道筋を告げ、歩ける人はすぐに避難した方がよいと促した。ウェインとシンガー、ニコルズは階段に向かったが、パラムソシーは動けないゲイブリエルに付き添って78階に残った。
9時30分現在で南タワーに勤務していた6,000人の内、おおよそ1,000人弱が建物内に留まっていたと推測される。最終的にこのうち600人が亡くなった。200人は衝突した瞬間に即死したと考えられる。直撃を受けたフロアやその上にいた人のうち、幸運に恵まれた18人が階段を下りてきて助かった。ブライアン・クラーク、スタンリー・プレイムナス、メアリー・ジョス、リン・ヤンといった人々だ。
直撃を受けた78階ではエレベータを待っていた人々の大半が即死したが、重傷を負いながらも生き残った人々が命からがら階段を下っていった。そして、それよりも上のフロアでは、無傷だが逃げ道をふさがれた多くの人々がいた。88階と89階からは911番と家族に電話があり、少なくとも100人が生存していると伝えてきた。104階のサンドラー・オニール・アンド・パートナーズでは70人弱、100-103階のエーオンでは167人がまだオフィス内にいた。煙で呼吸が困難になっていく中、残された人々は使える電話を交代で使って、愛する家族や恋人に最後の言葉を伝えてきた。
<フィデュシアリー>の技術部長のエド・マクナリーは妻のリズに電話した。妻に伝えておかなければならないことがあった。妻と子供たちは、彼にとって世界そのものだった。自分の保険証書はファイルしてある、それ以外の重要書類は別のファイルに入っている。もう切らなければ、彼は電話を切ったが、2,3分後にまたかけてきた。リズの40歳の誕生日が近かった。彼は妻を驚かす計画を立てていた。
「馬鹿みたいなんだ」彼は言った。「実はローマ旅行の予約をしてしまってね、リズ、キャンセルしてくれないか」
リズはそんなことは絶対に考えたくなかった。
「エド」リズは言った。「あなたはそこから出てくるのよ。消防士がそっちに向かっているから。あなたはどんな問題でも解決できる人でしょう。もうすぐそこから出てくるわ」
南タワー高層階での救出活動が本格化しつつあった。40階まで直通できるエレベータにより続々と人員が高層階に集結してきていた。50階あたりで、上からおりてきたリン・ヤン、ジュディ・ウェイン、ジジ・シンガー、エド・ニコルズら4人が消防士たちと遭遇している。彼らは消防士たちからエレベータの存在を知らされ、それに乗って一気に地上まで降りることができた。40階からロビーまではわずか30秒しかかからなかった。この4人は南タワーの18階より上から生還した第一陣だった。
そのころ、第七棟の危機管理センターにいた消防局の代表のジョン・ペルージャは、建築局の技官から衝撃的な報告を受けた。建物の構造破壊が甚大で、両タワーとも不安定な状態になっている。技官は特に北タワーがもう持ちこたえられないのではないかと懸念していた。ペルージャは消防長官ピーター・ガンチに危険が迫っている事実を伝えようと伝令を走らせた。長官は北タワーからウェスト通りを隔てて反対側のところに設置された仮設指揮所にいたが、危機管理センターと指揮所を繋ぐ通信手段が無かったのだ。
9時45分にはオリオ・パーマー大隊長は74階まで上がっていた。20秒ほどでパーマーは75階まで上がり、そこで消防士長のロン・ブッカと出会った。彼は援軍が現れたことに喜んだ。そして唯一残ったA階段を発見して、後続にA階段を利用するよう指示をした後、さらに上にのぼっていった。
あとから続いていたジョー・リーヴィ小隊長は9時50分には70階に達しており、そこで数人の要救助者を発見し、エレベータの前で待機していたトム・ケリー消防士に彼らをロビーに運ぶように指示をした。
9時51分にはパーマーが78階に到着したと推測される。52分にパーマーは二カ所で炎上が発生していること、ライン2本(ポンプ車隊2組)で消火しなければならないと告げた。そして彼はそこに残された人々の状態を伝えた。
「報告する、報告する──78階に多数の10.45。コード1だ」パーマーは言った。
78階には多数の民間人の死者がいるという意味だった。
「78階ですか?」リーヴィは尋ねた。
「10.4」パーマーは答えた。民間人が多数いる──ポンプ車隊が二組必要だと。
「今向かっています」リーヴィは答えた。
南タワーの攻撃後50分近く経った、9時50分頃、80階の角の窓から融けたアルミニウムが流れ落ちてきた。飛行機が融解しているのだった。83階の床が82階の窓を覆うように垂れ下がり、どんどん下に迫ってきていた。上層階からは床が崩れ始めているという連絡が複数寄せられた。
93階にいたグレッグ・ミラノウィッツは父親に電話し、次に父の同僚のマルシア・デリオンに電話した。
「天井が落ちてくる」ミラノウィッツは言った。「天井が落ちてくる」
78階に到着した消防士は、一人の警備員が負傷者に付き添って78階に残っていたことを知った。警備員のロバート・ゲイブリエル・マルティネスは、78階にいて航空機の突入をからくも生き延びた後も、職務を忠実に遂行していたのだった。彼は消防士が到着したことに希望を見いだしたのだ。9時57分に興奮した彼の交信が記録されている。
本部、ワールドトレードセンター第二棟78階スカイロビーに緊急医療チームを送ってくれ。今、エレベーターから人が救出されている。本部、いいか、約18名の人たちが78階スカイロビーのエレベーターに閉じこめられていた。今救出している。すぐに緊急医療チームを送ってくれ! 大至急! ワールドトレードセンター第二棟!
そして9時59分──ウェスト通りの指揮所で、ガンチ長官が建物が今にも崩壊しそうだという報告を聞き終えた、まさにその時──南タワーは轟音と共に崩壊した。消防隊が火災現場に到達したわずか8分後だった。
午前9時59分 南タワー崩壊直後 (29/102分)
南タワー崩壊の衝撃は、地上にいた人をなぎ払い、北タワー内部にいた人にも轟音と共に伝えられた。崩壊の様子はライブで全世界に放映され、地球の反対側の日本においても、リアルタイムに知ることができたが、ほんの数百メートルしか離れていない北タワーの内部にいた多くの人には、何が起きたかは分からなかったし、まさか南タワーが崩壊したなんて夢にも思わなかった。
10時1分に警察は北タワーに残っている全警察官に北タワーから避難するように指示を出し、警察官の避難が始まった。一方その頃、ファイファー消防隊長は南タワーから噴出した土煙に追われて、北タワーロビーに設置された指揮所を放棄し、第六棟の通路に避難していた。彼は南タワーの一部が崩壊したのだろうと考えた。まさか建物全体が崩壊したとは考えもしなかった。この日、史上最悪の火災現場を2つも任された彼らには、ビデオ映像すら提供されず、警察を初めとする他の機関との連絡もまともに行えなかった。硬直化したシステムの弊害が容赦なく彼らを追いつめていた。
ファイファー消防大隊長は、南タワーが崩壊した事実を知らないまま、即座に全隊員に対して建物からの退避を無線で指示した。彼は極めて限られた不完全な情報を元に正しい判断を適切なタイミングで行ったが、その指示は北タワー内部の消防士たちの無線機には届かなかった。リピーターの稼働なしには消防士たちの無線機はほとんど役に立たなかったのだ。
北タワー30階で小休止していたスティーヴ・モティカ小隊長は、南タワー崩壊の衝撃を感じたが、無線交信からは何の説明もされず、建物から避難せよというファイファー大隊長の命令も聞こえなかった。しかし、彼は警察官がふたり、猛スピードで階段を駆け下りていくことに気付いた。彼らは何をそんなに慌てているのだろうか。
35階では消防大隊長のジョゼフ・ピッチオットが率いた、第五、第九、第二○はしご車隊、第三三、第二四ポンプ車隊の一部が休息を取っていた。そこにはファイファー消防大隊長の弟であるケヴィン・ファイファー小隊長もいた。その時建物がゆれはじめ、ピッチオット大隊長の無線機から「
いずれにせよピッチオット大隊長は全員に退避を命じた。35階にいた他の消防士たちにも大声で命令が伝えられた。彼らの内誰一人として南タワーが崩壊したことは知らなかったが、彼らは迅速に避難を開始した。ジョン・フィッシャー中隊長は、先に上に上がった部下を連れ戻すために階段を大急ぎで昇っていった。相変わらず無線機は使えなかった。
消防士たちは避難を始めたが、なぜそれが命じられたのかは理解できずにいた。27階では車椅子のエド・ベイヤと彼につきそうエイブ・ゼルマノウィッツが今も助けを求めていた。消防士たちが避難を始める中にあって、ウィリアム・バーク中隊長は彼らを助けるためにその場に留まった。
南タワー崩壊の8分後、10時7分には警察の飛行隊のパイロット、ティム・ヘイズから悪い知らせが寄せられた。
「バッテリーパークシティの近辺にいる者全員に退避を勧告する」ヘイズは言った。「最上階から15階ほど下の部分が真っ赤に光っているようだ。崩壊は時間の問題だ」
この報告がきちんと伝わるようにと、通信指令係はほとんど一語一語繰り返した。無線を聞いている警察官全員が警告を受け取れるように全力を尽くした。「了解。最上階から15階下の部分で建物が崩壊しそうだとのこと。バッテリーパークシティ近辺にいる者は全員退避せよ」指令係は言った。
警察の通信指令係は何度も警告を発したが、北タワーにいた消防士たちは誰一人この通信を受信できる無線機を持っていなかった。それどころか、彼らは自分たちの指揮官からの連絡も受けられる状態になかった。警察官たちは、目に付いたもの全員にすぐに逃げろと叫びながら、退避を開始した。
指示の伝わり方には温度差があった。退避命令が出ているのに、まだドアを開けようと奮闘している消防士たち、民間の防火責任者の中にも残っている者がいるようだった。35階にいて避難していく民間人から退避命令を知ったウォーレン・スミス小隊長が、彼らに全員の退避命令が出たと言っても、なかなか信じてくれなかった。
35階から降りてきたもう一人の小隊長グレッグ・ハンソンは19階で信じがたい光景を見た。そこでは100名以上の消防士たちが疲れ果てて休息を取っており、中には民間人も混じっていた。ケヴィン・ファイファー小隊長もその場にいた。ロビーから廊下の端までぎっしり一杯で横断することは困難だった。ほとんどが床に座り込んでいて、作業用の上着を脱ぎ捨て、ヘルメットも脱いでいた。誰もが疲労困憊していた。彼らは避難命令を知らないようだった。すぐに避難するように警察官が促したが、彼らの動きは遅かった。誰も危険が迫っていることを認識していなかったのだ。
午前10時19分にはパイロットのヘイズから次の連絡がなされた。
「報告する。100%確実ではないが──タワーの上部が今、傾きはじめているようだ」ヘイズは言った。
北タワーが南西に傾き、南西の隅が崩れはじめていた。ヘリコプターから北タワーの崩壊が間近だという警告が少なくとも4回にわたってもたらされたが、この警告は警察のチャンネルだけに流された。消防と警察にはこの情報を共有する手段がなかった。無線の共有も、指揮所の連携も無く、たまたま無線機を持った警察官と出会うこと以外に、消防士たちが警告を受け取る手段は無かった。崩壊の時は一刻一刻近づいていた。
10時20分になって、イリアナは夫、トム・マッギニスからの電話を受けた。今までデスクに何度かけてもトムは出なかったので、とっくに逃げたはずだと彼女は信じていた。
「とてもひどいことになっているんだ」トムは言った。
「わかってるわ」イリアナは答えた。「国にとっても大きな損失よね。まるで第三次世界大戦みたい」そこで夫の声の調子に気付いて、彼女ははっとした。
「あなた、大丈夫なの?」張りつめた声で彼女は尋ねた。
「92階にいる。部屋から外に出られないんだ」
「誰と一緒?」
一緒にいたのはトムの古くからの友人、ジョー・ホランド、ブレンダン・ドーラン、エルキン・ユーエンの3人だった。
「愛しているよ」トムは言った。そして娘のことを言った。「ケイトリンを頼む」
そんな別れの言葉を聞くとは、イリアナには心の準備がなかった。
「落ち着いてちょうだい、あなた」彼女は必死で言った。「あなたたち、すごくタフな人たちじゃない。頭もいい。あなたたちなら、きっとなんとかできるわ」
彼女の言うとおりだった。この4人はニューヨーク育ちで、高校を出るとそのままウォールストリートに飛び込んだ男たちだった。そしていい大学を出ましたという看板ではなく、度胸と頭で金を稼いできたのだ。
「きみにはわからないだろうけれど」トムは言った。「上の階からは人が飛び降りているんだよ」
恐怖と煙に耐えて100分近く上層階で籠城していた人たちにも炎が迫りつつあった。今や炎は94階から、93階、92階へと広がってきていて、上の階からは逃げ場を失った人々が次々と飛び降りていた。
そして攻撃から102分後の午前10時28分、北タワーも崩壊した。
グランドゼロ (0/102分)
北タワーの崩壊により、避難しようとすればできたはずの200名以上の消防士が犠牲になった。後にジュリアー二市長は彼らは職務に殉じたのだと公聴会で熱弁を振るったが、実際には彼らは迫り来る危険を知らなかった。中にはウィリアム・バーク中隊長のように、危険を知りながら敢えて現場に踏みとどまった者もいたが、多くの消防士たちは低層階で休息を取っていたのだ。救急機関同士の協力体制と意思疎通の欠如がもたらした犠牲であったと言える。
ワールドトレードセンターはボーイング707型機の直撃を受けても耐えられるとされていた。にも関わらず、建物の耐火材料がどれだけの間炎に耐えることができるかさえ、一度もまともに試験されたことがなかった。オリオ・パーマー大隊長が率いる消防士たちが南タワーの突入現場に到着したのは、突入後50分後で彼らは少なくともあと1時間は救助活動が行えると信じていた。しかし、実際にはその7分後に南タワーは崩壊した。経済的合理性を優先した建築基準法の改正がもたらした弊害であった。
崩壊した南タワーでには生存者はほとんどいなかった。78階より上にいて助かったのはわずか4人、そして78階からは14人が生還した。そして、崩壊から何時間も経って、南タワーのロビーにいた港湾公社の職員レニー・アーディゾンが発見された。彼自身どうして助かったのか解らないという。
北タワーでは高層階は死のフロアとなり、キャンター・フィッツジェラルドでは658人、マーシュ・アンド・マクレナンでは292人、ウィンドウズ・オン・ザ・ワールドでは162人、フレッド・アルジャー・マネージメントでは35人、カー・フューチャーズでは69人が犠牲になった。ファイファー大隊長の弟のケヴィン・ファイファー小隊長はドアをこじ開ける工具の近くで死亡していた。78階でエレベータから助け出されたトニー・サヴァスと彼を助けたジョン・グリフィンは非常階段の一番下で死亡しているのが発見された。一方、北タワーの非常階段の一部が崩壊を免れ、そこにいた18人の消防士と民間人が助かった。
2001年9月11日のワールドトレードセンターへの攻撃によって、2,749名が犠牲になった。我々は彼らが経験した102分間を通して、何が彼らの命を奪ったのか、考えなければならない。そして、同じような犠牲を生まないために、何をすべきか、考えなければならない。
参考文献
もう一度言いたい。是非とも『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』を読んで貰いたい。きっとそこから何かを得ることができるはずだ。
9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言
- 作者: ジム・ドワイヤー,ケヴィン・フリン,三川基好
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/09/13
- メディア: 単行本
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