二極化が進む高校教科書

朝日新聞が報じたところによれば、高校教科書の二極化が進んでいるようだ。もともと偏差値毎に選別される高校用教科書では難易度に格差があったようだが、ゆとり教育の弊害からかその格差が広がっているようだ。次の表は現代文・数学・英語の代表的な教科書を比較したものである。


科目書名難易度シェアページ数概要
国語・現代文(第一学習社現代文50%420P
  • 評論文を20本。「癒やしとしての死の哲学」など
  • 巻末付録の「現代文重要語彙一覧」に「唯物論」など
標準現代文40%364P
  • 定番教材としての夏目漱石の「こころ」など
新編現代文10%248P
  • 通常の教科書よりひと回り大型のB5判
  • 巻末付録で、原稿用紙の使い方を「一般常識」として紹介
数学Ⅱ(数研出版数学Ⅱ48%224P
  • 各章末に受験を意識した演習問題を掲載
  • 「発展」が4項目で計5ページ
新編数学Ⅱ46%208P
  • 各章末にやや高度な補充問題を掲載
  • 「発展」は3項目で計3ページ
高校の数学Ⅱ6%160P
  • 「分数式」の項で、小学校レベルの分数の計算を復習
  • 「発展」はなし
英語Ⅱ(三省堂クラウンⅡ51%210P
  • 使用英単語は1800語以内
  • レベルの高い「選択的教材」を1レッスン分追加
エクシードⅡ25%170P
  • 使用英単語は1700語以内
  • これ一冊でも大学入試に対応できるよう、リスニング用のページも豊富
ビスタⅡ-124%70P
  • 2分冊の内、「1」だけの履修も可
  • 使用英単語は1200語以内
  • 大きめの文字、十分な余白。写真やイラストの多用
  • 随所に中学レベルも含めた「文法のまとめ」
ビスタⅡ-270P

まず目に付くのはページ数の差だ。難易度が低い教科書は他に比べて明らかに薄い。薄い上に大判で余白やイラストが多く、小中学校の復習が大きなウェイトを占め、発展的内容が全く含まれないという。例に挙げられている数学Ⅱは小学校の教科書かと見紛うばかりだ。薄い教科書はいきなり厚い教科書を見てやる気を削がれるのを防ぐメリットがあるのかもしれないが、生徒に迎合して際限なくレベルを下げていくと、「あまり易しい教材では馬鹿にされたと感じるのか、かえって授業についてこない」という弊害が出るのもやむを得ないだろう。さすがに高校の教科書に「星の王子さま」を採用するのは行き過ぎで、揺り戻しの動きがあるのも納得だ。

筆者は、実際に塾講師アルバイトとして中学生に教える身になるまでは、中学レベルの学問は誰でも勉強しさえすればマスターすることができ、それができないのはその人の努力が足りないだけだと信じていた。ところが、塾で中学生に教えてみると、本人は真面目で一生懸命理解しようとしているのに、理解できない生徒がいっぱいいるのに驚かされた。彼ら、彼女らはさぼっているのではない。塾に来てしっかり先生の話を聞いて、ノートを取り理解しようと努めているが、出来ないのである。いかに自分の認識が甘かったか思い知らされたものだ。

塾に来ている生徒はまだ学習意欲があるからましなほうだ。全く勉強をしない生徒にとって、低レベルの教科書さえ理解できないだろう。分数の計算が出来なかったり、アルファベットが読めなかったりする生徒は珍しくなく、そうした生徒が集まる教育困難校の教師たちの苦労を思うと頭の下がる思いだ。

英語では、単語の読みをカタカナで表したものもある。大修館書店は「高校進学時にアルファベットが書けない生徒さえいる。やはり読めないと始まらない」。

 中学校用の「動詞の不規則変化表」を載せた本も。文英堂は「11レッスンのうち、5までは中学の内容です」という。

 各社とも「中学が会話重視になった分、文法が身についていない」という教師たちの悲鳴を受け、随所に「文法の復習」を配置。マンガや写真で見た目も工夫した。

http://www.asahi.com/national/update/0401/TKY200703310276.html

学習指導要領では、高等学校で達成すべきレベルについて定義しているが、低レベルの教科書を採用している学校で、それが達成できるかどうかはいささか疑問だ。ここまで2分化が進むと、高等学校というまとまりで扱うことが果たして理にかなっているのかという疑問が生じる。

そもそも高校レベルの学問が人生の役に立つかと言われればそんなことはないだろう。それならばいっそのこと、無理に高度な内容を学ぶことはなく、中学レベルの内容を徹底することに重点を置いた方が今後の人生の役に立ちそうだ。現行の法制下では学習指導要領を逸脱するためこうした思い切った割り切りをすることは出来ないが、現行の高等学校を目的別に分割することも検討に値すると思う。企業が高卒しか採用しないと言うならば絵に描いた餅だが。

それよりも深刻なのは、『分数ができない大学生―21世紀の日本が危ない』で取り上げられ、社会問題化した分数の出来ない大学生の存在である。高校ならまだ許容範囲内だが、最高学府と位置づけられる大学で、小学校の算数が出来ないのは由々しき問題だ。

明らかに大学の数が多すぎ入学障壁が低すぎるのが原因である。思い切って大学の数を1/3ぐらいに減らしてしまって、残りは専門学校かNGOにでも変えた方がよいと思う。高校と同じように、目的毎に分割するのだ。高校卒業後4年間専門学校で専門技術の習得に努めた、NGOでボランティアに4年間携わった、となれば現状のレジャー施設と化した大学でのんべんだらりと4年間過ごした学生よりはずっと役に立つだろう。企業が大卒しか採用しないというなら絵に描いた餅だが。

少子化時代の教育は、各個人の適性に合わせた目的別のカリキュラムで推進されるべきだ。高校や大学の画一化されたカリキュラムは時代の要請に合わなくなってきているからこそ、教科書の二極化が進んでいるのだ。思い切って高校や大学を目的毎に少なくとも2つのカテゴリに分割し、より目的に特化した学習を行える環境にした方がよいと思う。

国際化の進展により、今後高卒資格、大卒資格も国際基準を満たすことが求められる時代になるだろう。そうなれば、基準を満たさない高校、大学は別カテゴリに分類しなければならないようになる。どうせやらなければならないならば早いほうがよいと思うのだが。